人生逆転のマレーシア留学

何もなかった男が、人生逆転するまでの軌跡を綴ります。

海外留学生活は孤独・ホームシックとの戦い【マレーシア大学留学生の本音】

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どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

早いもので、もうすぐマレーシアに来てから1年が経とうとしています。

すっかり現地生活も板についてきました。家族みたいな友達だってできました。

 

しかし、外国人として生きるという事は、予想以上に孤独です。

大学の勉強も英語。買い物に行っても英語。友達と話すのだって英語。

それが嫌な訳じゃない。特に友達に関しては本当の親友だと思ってる。けど、たまに疲れてしまうのも本音です。

 

そんな毎日の最中。特に家にいる時なんかは、一人ですから、孤独を感じる訳です。

最近は、とてつもない孤独に襲われる日々。ホームシックってやつでしょうか。

 

今、マレーシア留学中の僕が孤独を感じる理由とは?

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なぜこんなに孤独を感じるのか。理由は二つあります。

 

コロナの影響で日本に帰れない

まず一つ目は、先週のマレーシア政府の発表。今年いっぱい、外国人はマレーシアへの入国を規制されました。

これはつまり、一度日本に帰ってしまったら、今年いっぱいはマレーシアに再入国できないということ。

 

いや、正確に言えば、日本からマレーシアに戻る際、二週間の隔離生活が余儀なくされる。寂れた病室の中で、上手くもない病院食を二週間食べ続けなければならない。その際の費用は100%自己負担。マレーシア政府によると、その額はなんと2600リンギット(約66,568円)だという。

 

ばか高い費用を払い、訳のわからない病院のベッドで2週間を過ごすなんて、マゾのする事だと思う。そこまでして日本に帰らなければならない理由もないから、今年いっぱいはマレーシアに居続けるという選択をせざるを得ない。

 

一年も日本にいる仲間に会えないのか。地元に関しては、2018年の正月に帰った以来だから、丸二年も地元にいる家族や仲間に会えないんだ。

 

寂しいなぁ。

 

心の支えだった人が…

それと、先日の記事でも書いた例の色恋沙汰の件。

日本にいた頃、僕には彼女がいた。お互い愛し合っていたのにも関わらず、留学の不安からか、渡航前に自分から振ってしまった。でもずっと引きずっていて、一年ぶりにその子のSNSを見たら、新しいボーイフレンドが出来ていて、とても後悔している。

 

という、なんとも女々しい記事を、恥ずかしげもなく書きました。

例の記事:留学する時に彼氏・彼女と別れるべきなのか?僕の実体験から考察してみた【遠距離恋愛】

 

しかし、僕はどうやら、それ以来ポッカリ心に穴が開いてしまったようです。

「あぁ、もうあの子は居ないんだ」、と。

僕の留学生活を応援してくれる家族や仲間がいます。いるんですが、なんというか、心の拠り所というか、心の支えがなくなった感覚。それも、とてつもなく大きな支えが、忽然と無くなった感覚。

 

日本に帰国するという楽しみ。心の支えだった例の女性。

僕はこの二つを、先週のうちに無くしてしまったのです。

 

孤独や寂しさから逃げてはいけない

僕はこれまでにも、何度か孤独や寂しさを味わってきました。

そんな時は決まって、孤独という辛さから逃げるための依存先を探していたような気がします。

非行に走ったり、夜遊びをしたり、酒やタバコに嗜んだり、女性を求めたり。若かりし頃の僕は、寂しさを感じるたびに、こうして誤魔化してきました。

 

けど、誤魔化したところで、問題の抜本的解決にはつながらない。こうして、いまだに孤独に打ち拉がれている弱い自分が、何よりの証拠じゃないか。

大人のふりをしても、自分はまだまだクソガキだった。強くなりたい。自立したい。僕は次第に、孤独とか、寂しさとか、そういう負の感情に対して、もう逃げねぇ。どっからでもかかって来いよコラ。こう奮い立たせて、今は毎日を生きています。

 

寂しさの中で寂しさが美しいと知る

思えば、マレーシアに来てからは、孤独と向き合ってばかりですが、その中で気付くこともあります。

 

好き勝手生きている自分を応援してくれる家族。

「いつでも帰ってこいよ」と心配してくれる先輩。

「いつ帰って来るんだ?早く遊ぶぞ」と口うるせぇ友達。

「ユウトさん居ないんで寂しいっす」と慕ってくれてる後輩。

マレーシアにだって、多くはないが親友がいる。良くしてくれる人たちもいる。 

 

なんだ。全然孤独じゃないぞ。いや、孤独っちゃ孤独だ。けど、孤立している訳ではない。

 

 

寂しさと向き合い、はじめて寂しさは美しいと知る。弱い自分を知れる。自分に素直になれる。大切な人たちのありがたみが分かる。

 

"大切なモノは失って初めて気づく"とはよく言いますが、今まで孤独から逃げてきた自分は、こんな当たり前な事にも気づけていなかったのです。

 

この経験から、"孤独を感じる時、それは成長期間である"と思っています。

そんな願ったり叶ったりな成長期間から逃げてしまうのは、ちょっと勿体ない。

 

もう少し孤独と戦ってみようかな、と思います。

 

孤独を埋める為の依存先を考えよう

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上記ツイートの通り。

人は、何かに依存して生きる動物です。特に、孤独を感じたり、愛情が不足していると感じる時ほど、執拗に依存先を探す傾向があります。

 

ドラッグや酒といった物質的な依存。SNSや買い物、ギャンブルといった行為や過程への依存。友人や恋人といった、人間関係への依存。

 

いろいろなタイプの依存先がある。僕だって何かに依存しないといけない。その中で忘れてはいけないのが、"依存先の質"を意識する事。

対象の物事に依存した結果、自己肯定感が高くなるか?僕はこう考えています。

 

例えば酒に依存したとして、たぶん、シラフの時は「俺何やってるんだろう…」って自己嫌悪に陥ります。だから、さらに酒を煽るハメになる。周りは鏡です。アル中に寄ってくるのは、同じくアル中でしょう。そんなスパイラルの中で、自己肯定感が高まるとは到底考えられません。

 

人肌恋しくて、インスタントに彼氏彼女を作ってみても、そこに愛なんてないから、一向に愛されている感覚が得られず、精神的孤独感を味わい続ける事になる。

 

いっときの感情で、依存先を決めても痛い目を見る。だから、依存先の質を考えるのです。孤独を感じる人というのは、自己肯定感が低い。物理的、もしくは精神的に、満たされている感覚がない。だからずーっと孤独を感じ続けるのです。

 

孤独と上手に向き合う為の趣味

孤独だなんだ言うわりに、僕は一人行動が好きなので、以下の事をしながら孤独と向き合っています。

 

  • 読書
  • 格闘技
  • カフェ巡り
  • ブログ執筆

  

 

特に、読書は最高におすすめです。

僕はよく、kindlemacbookを持ってカフェに行き、コーヒーを飲みながら好きな本を読んで、そこから得た知識をブログにまとめたりしています。

 

関連記事:【コスパ最強】読書がクセになる!電子書籍が読み放題のサービス「Kindle unlimited」【メリットだらけ】 

 

あとは、運動もいいですね。

僕は2週間前くらいから、マレーシアの格闘技ジムに通っています。

 

関連記事:格闘技経験なしの20代初心者が、マレーシアのジムでボクシングを習い始めてみた

 

格闘技は個人競技なので、自分自身が強くないとダメなんですよね。肉体だけではなく、精神まで強くないといけない。とどのつまり、倒すか倒されるかのスポーツなので、仲良しこよしではやってられません。

 

命をかけて斬り合いをしている武士が、「もう疲れた。誰か助けてくれ。」なんて弱音を吐こうものなら、命を奪われる訳ですよ。

 

僕は格闘技を通して、オスとして、人として、そして生物として強くなろう、と思うようになりました。孤独を味わうというのは、人として強くなる為には避けては通れない道なのです。

 

少し格闘技について語りすぎました。いずれにせよ、僕の依存先、すなわち趣味は、なかなかに自己肯定感を高めてくれます。

 

孤独って、そんなに悪いもんじゃない

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「孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。いずれにせよ、人格が磨かれる。」 by ニーチェ 

 

「成功したいならロンリーじゃなきゃ駄目だよ。めちゃくちゃ人脈があって成功してる奴を、俺は見たことがない。最終的に成功してる人は、一匹狼だし孤独に強いよ。」 by 与沢翼

 

上記はいずれも、過去記事からの引用です。

過去記事:【成功者に学ぶ】孤独に慣れて、自己成長に繋げる方法【孤独を愛せ】

 

自立するという事は、そう簡単なことじゃない。難しい。一人の人として強く生きるには、孤独とも向き合わなければいけない。割としんどいですが、乗り越えなければいけない壁だと思うんです。

 

そうしないと、一人じゃ何もできない奴になってしまう。

 

生まれ育った故郷や住み慣れた街、心地いい環境にいい人間関係。全てを置いてマレーシアに来て、はじめてこんなに真剣に孤独と向き合えています。

日本じゃおそらく体験できなかったでしょう。山あり谷ありの人生。紆余曲折があって、それが人としての肥やしになる。若いうちの苦労は買ってでもせよ、っていう言葉があるくらいです。

 

まだまだ道半ばの半人前ですが、これからも自分の足で、悩んだり喜んだりしながら、人生という道を切り拓こう。そう思っています。