人生逆転のマレーシア留学

何もなかった男が、人生逆転するまでの軌跡を綴ります。

【外国人は僕だけ】イスラム教の家族と一週間過ごして気づいた、文化の違い3選【マレーシア留学】

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先日まで、マレーシアの北東にある港町トレンガヌ州で、一週間ほど滞在をしていた。

 

上記ツイートの通り。

有難い事に、仲の良いマレー系マレーシア人の友達が、「お母さんの実家があるトレンガヌへ里帰りする。だからお前もついてこないか?」と誘ってくれたのだ。

 

今回行ったトレンガヌ州は、人口の95%がイスラム教を信仰するマレー系マレーシア人を占めており、マレーシアで最もイスラムの色が色濃く残っている街だ。

 

 

 

後ほど詳しく書くが、今回は30人くらいのイスラム教であるマレーシア人の親戚と共に、たった一人の日本人である僕が、マレーシアで最もイスラム色の強い街で、一週間ほど滞在した。かなりレアな体験だったと思う。

 

はじめに:ムスリムは、イスラムの教えに沿って生活をする

ムスリムイスラム教徒)にとっては、思想から生活様式まで、イスラムの教えが中心だ。

 

これは、宗教をあまり信仰しない日本人には理解し難いかもしれない。

イスラム教って何?」と言う方は、イスラム教の特徴をわかりやすく紹介している以下の記事がオススメだ。

 

関連記事:イスラム教の特徴。ルールやタブーを分かりやすく【徹底解説】

 

例えば、「なんて自殺しちゃダメなのか?」と聞かれれば、日本人的な回答だと「周りの人が悲しむから」とか、「その先は良い事があるかもしれないから」といった具合に答えるだろう。

しかし、ムスリムにこの質問をすると、「自殺は絶対にダメ。なぜなら、天国にも地獄にも行けず、あの世とこの世の間で苦しみ続けるからね」と答える。

 

日本人が、「野菜は嫌い。肉は好き。魚も好き」と、自分の趣味嗜好で食べ物の好き嫌いを決めるけど、ムスリムは「豚と酒は絶対に口にしない。それはクルアーンイスラム教の聖書みたいなもの)に書かれているから」と、宗教に従って自分の食べる物を決める。

 

繰り返しになるが、ムスリムの生活や思想は、イスラム教の教えが中心にある事が多い。(もちろん人による)

 

 

 

ムスリムと過ごした一週間で気づいた、文化の違い3選

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一つずつ紹介します。

 

マレー系マレーシア人の食事事情

マレー系マレーシア人、すなわちムスリムには手食文化がある。箸やスプーンを使わず、手でご飯を食べるのだ。しかし、僕が見る限りでは、手で食べるのはマレー料理飲みであり、麺料理や日本料理、西洋料理を食べる際は、彼らも僕らと同じように箸やスプーンを使う。

 

今回のトレンガヌでの食事は、ほぼ全てマレー料理であった為、食事の度に彼らは手でご飯を食べていた。僕も、最初はすまし顔でスプーンだのフォークだの使っていたのだが、「あぁ、もうめんどくせぇや」と、最終的には彼らと同じように手で食べることにした。これが意外と慣れなくて難しい。友達の所作を真似て、見よう見真似で食べた。

 

ここで豆知識だが、イスラム教における手食文化には、大事なルールがある。

それは、左手を決して使わない事。なぜかというと、ムスリムは、トイレで用を足した後にトイレットペーパーを使うのではなく、左手で洗い流すからだ。

 

ムスリムにとって、左手は不浄のものとされているのである。食べ物を食べる時や握手をする時、人に物を渡す時は、キレイな右手を使う。これからイスラム教が国教である国に滞在予定の左利きの方は、ぜひ右利きに矯正する事を推奨したい。

 

以上のことから、ムスリムは食事中、右手だけを使い、器用にフライドチキンの骨を取り除いたり、魚の骨を取り除きながらご飯を食べる。

 

そしてマレーシア料理だが、これがめちゃくちゃ美味い。あれは、なんらかのドラッグが仕込まれているはずだ。そのくらい中毒性があり、美味いってことです。

 

 

マレー料理を食べたことのない人のために、マレーシアの代表料理「ナシレマ」のイメージを以下に載せる。

食品, ナシゴレン Lemak, アジア, マレーシア, マレー語, 皿, 食事, 辛い, サンバル

 

マレー料理は、上記のように一つのお皿にご飯やら、卵やら、肉やらソースが豪快に乗せられる。

サイドディッシュは、チキンや魚の揚げ物が多い。

 

東南アジアで一番の肥満率を誇る、マレーシア

「マレー料理は、脂っこくて美味しいから、マレーシア人は太ってる人が多い」と、僕の友人はよくジョークを言うけど、あながち間違いではない。

 

その証拠に、マレーシアの肥満率は、ASEAN諸国で最も高い。

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引用:Obesity on the rise in ASEAN | The ASEAN Post

 

気候が暑い為、体を動かす人が少ない。健康に関する意識づけが低い。

などといった理由も考えられるが、この美味しすぎるオイリーな食事が、マレーシア人の肥満率を高めている理由なのではないか?と個人的には思う。

 

個人的に、マレーシア料理は大好きだ。美味しいから、ついつい調子に乗って食べすぎてしまう。しかし、中にはマレーシア料理がヘビーで、口に合わない日本人だっているかもしれない。

 

ムスリムはよく寝る!「1日5回のお祈り」の弊害か?

日本人はまとまった睡眠を一度に取る。一方、ムスリムは、比較的短い睡眠を1日に何度も取るようだ。(もちろん、これも人によるのだが、少なくとも共に過ごしたムスリムはそうだった)

 

トレンガヌに滞在中、僕たちはだいたい、毎晩1時か2時くらいに就寝していた。家族、友達みんなで遠出しているのだ。テンションも上がる。出かけたり、映画を見たり、おしゃべりをしているとすっかり真夜中だ。多少の夜更かしはご愛敬。

 

日本人の僕らであれば、その時間帯に寝ると、朝はざっくり8〜9時頃には起床する。しかし、マレーシアのムスリムは、朝の6時前頃にはお祈りをしなければならない。だから、5時30分を過ぎたくらいのタイミングで、友達のお父さんが「おいみんな!起きろ!お祈りするぞ〜!」ってな具合で子供たちの部屋を回る。

 

1時に寝て、6時前に起き、お祈りをし、二度寝をする。8時くらいに起きては、外へ遊びに出かける。

 

長時間のまとまった睡眠が取れないし、しんどくないのかな?と僕なんかは考えるが、ムスリムはずっとこういった生活リズムなのだから、慣れている。

 

ムスリムの僕は、夜から朝までしっかり睡眠をとり、尚且つ、みんが昼寝をするタイミングで僕も一緒に昼寝をすると言う体たらく。相当リラックスした一週間を送った。たまにはいいよね。

  

まるで昭和の日本!マレーシア人は大家族&仲が良い

 

冒頭でも触れたが、マレーシア人は大家族だ。

 

今回僕をトレンガヌへ誘ってくれた友達は、兄が一人、姉が一人、妹が一人いる、四人兄妹だ。その友達のお母さんは、確か5人兄弟で、それぞれに3人以上の子供がいるとか。

だから、里帰りの際の人数は、物凄い事になる。子供の数の合計は、なんと29人!!

 

この友達に限らず、マレーシア人はたいてい大家族だ。子供は三人以上が普通。兄弟が四人、五人いる人だって割といる。

 

子供が多い、エネルギッシュな大家族は、まるで昭和の日本のようだ。少子高齢化核家族化が進む現代日本ではあまり見られないような光景がそこには広がっていた。

 

思え返せば、確かに僕のお婆ちゃんも兄弟が多い。これは僕の話だが、昔は、盆暮れ正月となると、多くの親戚が集まっていた。しかし、今ではそういった親戚同士の交流は薄い。これは、多くの日本人家庭でもそうではないだろうか。

 

遠くの街に住んだり、生活環境が変わる事で、次第に親族付き合いが希薄になる。

 

しかしながら、マレーシア人の家族観は日本の真逆だ。

大家族だろうが、遠くの街に住んでいようが、決まった時期に親族一同で集まって、交流を楽しむ。日本人は家族を大切にしない、という訳では無い。しかし、マレーシアの家庭は、日本以上に家族を大切にするし、仲が良いなあと思った。

 

家族観に対する、僕の見解

よくも悪くも、日本では一人で生きていく強さを求められる。

「実家暮らしはだらしがない」という価値観があるから、一人暮らしの学生やサラリーマンは吉野家で一人、牛丼を貪る。たまの休日は漫画喫茶。一人カラオケも今や当たり前。一人で何かをする事に、みんな慣れている。極め付けは、一席ごとにパーテーションで区切られたラーメン屋、一蘭。あれをマレーシア人に紹介すると、「なぜみんなでご飯を食べないの?」と驚く。

 

マレーシア人は、社会人になった後でも、実家暮らしが大半だ。それは、日本ほど給料が高くない為、一人暮らしとなると経済的に難しい、といった理由もあるだろう。しかし、それ以上に、家族を大切にする文化がある以上、わざわざ一人で孤独に暮らすという事は好き好んでしないようだ。

 

それ故に、マレーシアでは一人暮らしと言う価値観があまり無い。実際、マレーシアで一人暮らし用の物件を探そうとしても、シェアハウスのような物件ばかり。日本のような、こじんまりとした1Kの物件はあまり見かけない。

 

一人でも生きられる国、日本。

家族で協力して生きる国、マレーシア。

 

あとがき:宗教を深く理解する事の重要性と、オススメの本2冊

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もちろん、トレンガヌ州を観光をしたり、美味しい食べ物をたらふく食べたりはしたが、そんな似非インスタグラマーのようなコンテンツは趣味ではない為、割愛。もし興味のある方は、僕のTwitterを眺めてください。いろいろ載せています。

 

 

”文化の違い”という、ふわふわした定義のものを、なんとか言語化してみたが、やはりこういうのは、実際に体験して初めて感動を覚える。

 

もし今後、海外に住む予定のある方は、ぜひ現地の人と遊ぶ事をオススメする。日本人にありがちな、日本人同士で固まる例のあれは、なかなかに退屈だ。

 

日本人で宗教を深く信仰する人は少ないが、宗教とは、人類史を変えた大きなファクターである事は間違いない。

 

個人的に、日本人はもう少し宗教に対する理解を深めるべきだ。そうする事により、宗教がなぜこうも信仰されるのか、という理由が分かる他、今の時代に必要な多様性を身に付けることもできる。

 

以下に、宗教学を学ぶ上で個人的にオススメな本を2冊紹介する。

いずれも有名な本なので、既に読んだことがあるかもしれませんが。。

 

【ビジネス書大賞2020 特別賞受賞作】哲学と宗教全史

 

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

今回、トレンガヌへ招いてくれた友人へ。ありがとう。きっと、Google翻訳を使い、でたらめな英文でこの記事を読んでいる事だろう。

 

次は今年の4月。ハリラヤ(イスラム教の、1ヶ月の断食が終わったあとの祝日)に合わせて、再びトレンガヌへ行きます。お楽しみに。 

 

それでは。

 

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関連記事:マレーシア留学に必要な英語力まとめ!おすすめの参考書・単語帳も紹介

子供の貧困・教育格差・解決策を、マレーシア留学生の僕が真剣に考える

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マレーシアの大学で正規留学をしている僕(@Just_Yuto)だが、先日、「貧困をなくする為の教育を考える」と言うテーマで、小論文を書いた。

 

 

上記ツイートの通り。

日本語に翻訳されていないような、世界中の記事や論文を参照しつつ、英語で書き上げた。

 

その報告をツイートしたら、思いのほか反響がよく、フォロワーさんから「ぜひ日本語に翻訳してブログで書いて欲しい!」とのご要望まで頂いた。それならばと言う事で、今回の記事では、僕自身が英語で書き上げた小論文「貧困をなくする為の教育」を、日本語に翻訳しつつ、より日本の現状に着目し、貧困や教育格差について考える。

 

子供の貧困、教育格差、解決策を真剣に考えてみた

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レベラリズム、人種差別問題、個人の尊厳、ジェンター平等、所得格差の是正。昨今の世の中を見ると、「不公平な世の中はダメだよね。みんなで平等な社会を作り上げて行こう!」という動きが強くみられる。要するに、社会の平等化が進んでいるのだ。

 

確かに、マクロな視点で見れば、平等な社会になりつつあるのかもしれない。

しかしながら、ミクロ視点で見れば、様々な格差に気づく。今回着目するのは、貧困問題だ。

 

まず、貧困の定義を明確にしておこう。貧困とは、社会で効果的に機能する能力の欠如である。つまり、教育の欠如は貧困の一形態と考えることができる。また、チリの経済学者ホワキン・ラヴィンは、自身の著書にて、「貧困に苦しむ人々は、自分のライフプランを組むことができない。選択肢がないのだ。すなわち、貧困とは不自由を意味する」と述べている。教育が平等でない限り、貧困が解消されることはなく、社会が平等になることはないのかもしれない。

 

もくじ
  • 学歴と年収の相関関係
  • 親の学歴・年収と子供の学力
  • 貧困対策に力を入れるイギリスの政策
  • 8歳までの経験は人格形成に影響を与える
  • 10歳以降、貧困家庭の子供は学力が低下する
  • 英語は貧困から抜け出すためのソリューションか
  • まとめ

 

学歴と年収の相関関係

よく「学歴社会は終わった!」と言われるが、学歴と年収の相関関係は、色濃く残っているのが事実である。

ではここで、一つ例を見てみよう。アメリカ出身の科学者でもあり教育ライターでもあるロン・カータスが、アメリカ人における学歴ごとの平均時給を紹介している。

 

中卒者:約11ドル

高卒者:約15ドル

大卒者:約26ドル

院卒者:約31ドル

 

引用:Income Related to Education by Ron Kurtus - Personal Finances: School for Champions

 

さすがはアメリカ。たとえ中卒者であろうと11ドル、日本円にして1100円ちょっと。ぶっちゃけ日本の地方の時給よりも全然立派な稼ぎだ…余談はさておき、ここで着目したい点は、やはり学歴によって収入が全然違うという事だ。

 

中卒者と高卒者の間には、約4ドルの差しかない。

大卒者と院卒者の間には、約5ドルの差しかない。

しかし、だ。高卒者と大卒者にかけては、11ドルもの差がある。二桁も違うのだ。

露骨なまでに、現代社会では大卒という名の資格が必要とされる。

 

 親の学歴や年収は、子供の学力に影響を与える

「なるほど。大卒じゃないとまともな給料が貰えないのか。じゃあ、大学くらいは卒業しておこう!」

 

こう思える親や子供は、控えめに見ても中流以上の家庭だろう。

しかし、こんな不平等な世の中だ、貧困だってまた存在する。なんらかの理由で経済的に困窮している家庭にとって、大学進学なんて夢のまた夢なのだ。

 

ではここで、日本の貧困家庭について触れてみよう。

このテーマに関しては、過去の記事でだいぶ詳しく書いた。例えば以下の引用文。

 

日本には、"ご飯もろくに食べられない。着る服もない。学校にすら通えない。"といった、ストリートチルドレン的な子供たちは極めて少ない。

日本の貧困家庭の子供たちは、最低限必要なものは持っているし、ゲームやスマホを持っている子供すらいる。しかし、家庭の経済事情を気にして、課外活動のクラブや塾には参加しなかったり、大学進学を断念したりする。

関連記事:日本の子供は、7人に1人が貧困状態。「相対的貧困」の定義と、解決策を考えよう 

 

いくら貧困とて、日本は言うまでもなく恵まれている国である。明日食べるものすらない、といった絶望的な貧困家庭なんて、極々わずかだろう。側からみれば、とても貧困だとは思えない家庭もある。

 

しかしながら、表面上はそうでも、塾や習い事などの課外活動にまで首が回らなかったりする。「今の時代、高校くらいは出ておかなきゃ」とは考えるけど、大学は経済的に厳しいかも、と考える。日本の貧困とは、見えにくいのだ。

 

"子供に貧困を押し付ける国・日本"の著者である山野良一氏は、上記のような見解を述べている。

 

 

こんな事を言うと、

「勉強を頑張って、良い成績を取って、給付型の奨学金を貰いながら国立大学に通えるじゃないか!環境のせいにするな!」

と説教を垂れる大人もいる事だろう。

 

しかし、お茶の水女子大学研究を見ると、親の年収は子供の学力に大きな影響を与える事がはっきりと分かっているのだから、簡単にそんなことは言えまい。

 

年収200~300万円の下流家庭、年収600~700万円の中流家庭、年収1000~1200万円の上流家庭。それぞれの収入世帯ごとの、子供の数学Bの点数を見てみよう。

 

親の年収と子供の学力(数学B) 

下流家庭:33.1

中流家庭:43.5

上流家庭:52.6

 

このようにしてざっくりと年収ごとに分けてみても、子供の数学Bの点数は、約10点ずつ差がついている事が分かる。

 

ここでもう一つ。冒頭に「学歴と年収は比例する」と主張した。おそらくだが、上流家庭の親は高学歴であるケースが多いと予想される。つまりは、高学歴の親は高収入で、かつ子供の学力も高い、と仮定できなくもないのだ。この核心に迫るために、親の学歴と子供の学力についても見てみよう。参考にするリソースは、引き続き「お茶の水女子大学研究」である。

 

父親の学歴と子供の学力(数学B)

中卒者:27.0

高卒者:37.6

大卒者:51.4

院卒者:62.7

 

母親の学歴と子供の学力(数学B)

中卒者:25.7

高卒者:36.6

大卒者:58.1

院卒者:62.4

 

父と母の学歴をそれぞれ比較すると、母親の学歴のほうがより強く子どもの学力に影響している。父親が「高卒者」である場合の正答率が37.6%、「大卒者」 になると51.4%となる。それに対して、母親が「高卒者」だと正答率が36.6%、 「大卒者」になると58.1%であり、その差は父の学歴による差よりも大きいのだ。

 

あまりステレオタイプな発想は好まないが、日本の一般的な家庭は、父親が朝から晩まで働き、母親は専業主婦か、もしくはパートなんかをしながら子育てに専念する事が多いのではないだろうか。つまり、子供とダイレクトに接する時間が長い母親の方が、より子供に影響を与えやすいと考えられる。

 

こうした事実を抑えた上で、果たして「貧乏でも、勉強を頑張って給付型奨学金を貰いながら国立大学に行けるじゃないか!甘えるな!」などと言えるだろうか。

 

給付型奨学金というのは、成績の良い生徒が受けれる奨学金である。先に見たデータによると、教養のある裕福な家庭の生徒ほど、学力も高いのだから、奨学金を受けれるチャンスも少ないはずだ。

 

僕が思うに、貧困家庭の子供に対する救済処置はまだまだ少ない。だからこそ、貧困は連鎖しているのだ。いわば恵まれない子供に対して、「甘えるな!」はあまりにも無知で無慈悲な発言じゃないか。どうしたら貧困を無くせるのか、僕ら大人が冷静になって考える必要があるんだ。

  

僕のような素人でも思いつく貧困対策。それは、経済支援だ。しかし、我ら日本を含む多くの先進国では、既に貧困家庭に向けた経済支援を導入している。

 

貧困対策に力をいれるイギリスの政策例

特に、貧困対策で大きな成果を上げているのが、イギリスだ。

イギリスでは、貧困対策法を数値化し、毎年議会で進捗状況を報告し、3年ごとに戦略を策定することが義務付けられている。具体的には、イギリスでは主に2つの取り組みがある。

 

一つ目は、イギリスの公立学校が低所得家庭の生徒の学力向上を支援するために、政府が公立学校に支援金を与える「Pupil Premium」。

 

そして二つ目は、子どもが18歳になったときにある程度の貯蓄ができるように国民に貯蓄を促すために設けられた、「Child Trust Fund」である。

国がこういった試みを始めて以来、イギリスの子どもの貧困率はこの20年間でみるみるうちに低下している。

 

フランシス=デバインによる英国の貧困統計では、絶対的な低所得にある子どもの割合は、この20年間で41%から17%に低下しているのだから、いかにイギリス政府が子供の貧困問題に対して真剣に向き合い、取り組んでいるかが伺える。

 

8際までの経験は子供の人格を形成する

そもそもなぜ、子供の貧困問題が問題なのか?

貧困に苦しんでいるのは、何も子供だけじゃない。貧困状態の大人だってしんどいじゃないか。

 

確かにそうだが、貧困というのは、根本から根絶やさない限り続くといっても過言ではないだろう。そして、貧困という負の連鎖を断ち切るのには、やはり明日の社会を担う子供に掛かっている。

 

特に、8歳くらいまでの子供には、重点的にサポートをする必要がある。

 

全米科学・工学・医学アカデミーによると、8歳くらいまでの幼い子どもは、周囲の環境や自身の経験、それから、周囲の大人との信頼関係に強く依存しながら成長すると述べられている。また、それが子どもの人格形成の基礎となり、子どもの将来に永続的な影響を与えることも分かっている。

 

つまりだ。幼少時に良い大人に囲まれ、習い事などを通して質の高い経験をした子供は、 至極健康的に、すくすくと成長する。

一方で、そのような大切な時期に、一人の時間が多かったらどうだろう。もっと劣悪な環境、例えば、親に虐待を受けたり、借金取りに土下座をする親を目の当たりにしたり、ろくな経験をさせてもらえなかった子供はどうだろう。幼児期の経験や記憶が基礎となり、人格形成につながり、半永久的に影響を与え続ける。

 

自信喪失、トラウマ、PTSD、鬱といった心の問題に繋がることはいうまでもない。

 

10歳を境に貧困家庭の子供は学力が低下する

そして更に、日本の貧困家庭の子供は、10歳くらいを境に学力が低下すると日本財団の研究で明らかになった。

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引用:家庭の経済格差と子どもの認知・非認知能力格差の関係分析

 

これは、貧困家庭と平均的な家庭の偏差値を比較したグラフだ。9歳までは双方に大した差異はない。しかし、10歳の貧困家庭の子どもの偏差値は45.1であるのに対し、平均的な家庭の子どもの偏差値は50.6と差が生まれ始め、それ以上の年齢になると、差は大きくなっている事がわかる。

 

先に見た通り、学力が低い子供は、親の低学歴および低収入が傾向が強い。貧困家庭の親は、学歴が理由で、高単価の仕事を得る事が難しいため、寝る間も惜しまず働く。その分、子供は親と過ごす時間が少なく、孤独の中で成長する。

 

  • 「今日の学校はどうだった?」
  • 「宿題を確認してあげるよ」
  • 「休日は何処かへ出かけよう」

 

こうした家庭内での会話が極端に少ない事で、子供のメンタルは不安定になり、宿題を確認したり勉強を教えてもらう機会も少ない。これが学力低下の主な理由だろう。

だからこそ、8歳前後までの貧困にある子供には、国や地域がサポートする必要があるのだ。

  

英語力は貧困から抜け出すためのカギか

親の年収や学歴が子供に影響を与える事もわかった。8〜10歳くらいまでの経験は人格形成において重要らしい。イギリスでは国を挙げた貧困対策がされているらしいじゃないか。わかったわかった。じゃあ具体的に、貧困家庭の子供たちは、どのような教育を受ける事で貧困から抜け出せるのだろうか?考えてみよう。

 

これに関しては、ひとえに「これを教えたら将来は貧困から抜け出せる!」と断定するのは難しいが、年収の高い人に共通している事はいくつかある。

 

例えば英語力

アメリカの経営学誌"ハーバード・ビジネス・レビュー"の記事にて、クリストファー・マコーミック氏は、英語力は所得に比例する、と主張する。

世界最大級の語学教育機関であるEF英語力指数と、世界各国の一人当たりの所得を比較したところ、調査対象となった60カ国のほぼ全ての国で、英語力と所得の伸びに強い相関関係があることがわかった。また、個人レベルで見ると、採用担当者や人事担当者、高い英語力を持つ求職者は、平均よりも30~50%高い給与を得ている結果も出ている。

 

また英語力は、収入のみならず、生活の質にも関係するという。

というのも、英語力と人間開発指数(教育レベル、平均寿命、識字率、生活水準を測る指標。以下HDIと呼ぶ)には相関関係があることもわかったからだ。下のグラフを見ればわかるように、英語力の低い国と非常に低い国では、発展具合のレベルにばらつきがあるものの、しかし、中等度以上の英語力の国では、HDIの「非常に高い人間開発指数」を下回る国はない。

 

このグラフでは、幸福度の高い国として知られるノルウェーが最も高い指数に位置しているのも興味深い。

 

Better English, Better Quality of Life Chart

 

引用:Countries with Better English Have Better Economies

 

 

年収700万以上の日本人は、半数以上が英語の読み書きが可能

幸福度まで追い求めなくとも、日本という国では、英語が話せるというだけで大きなアドバンテージなのは事実である。

 

これは、過去の記事【大学生、社会人向け】人生を変えるオススメの自己投資3選 でも触れた。

 

全国の1000人に語学力と本人の年収を調査したところ、年収700万円以上の人は約半数(48.7%)が英語での日常会話や読み書きが出来ると回答しました。年収500万円から700万円未満の人では34.0%、年収500万円未満では22.4%となり、英語力と年収の明らかな相関が見られる結果となっています。

出典:株式会社キャリアインデックス

 

年収700万円以上の人は約半分くらいの割合で、英語の日常会話や読み書きが可能とのことだ。

 

日本人にとっては、英語が堪能というだけでかなり自身の市場価値が上がると言っても良いだろうし、就職時にはそこそこ誇れる武器になるはずだ。

 

チリの経済学者、ホワキン・ラヴィンは、自身の著書にて

「長期的な仕事に就いた人は、しばらくすると貧困から抜け出すことができる為、雇用こそが貧困を断つための最良の解決策である。」

引用:A Fast Track Way To Reduce Poverty: Practical Handbook for Decision Makers

と論じている。

そんな簡単な話ではないのは分かっている。しかし、英語を身に付ける事で、安定した職につける可能性は増えるだろうし、貧困から抜け出せるのかもしれない。

 

 

まとめ

思い出, 小学校, 教室

貧困を解決するための策を考える事は容易ではない。

ぶっちゃけまだまだ書き足りないが、キリがないのでここら辺にしておこう。

 

現代社会に蔓延る貧困だが、僕たちが最初にするべき事は、貧困の理解を深める事だろう。貧困のリアルから、社会に与える影響まで、物事を知るという行動が大切だ。募金やボランティア、自分自身が彼らにできる事を考えると言った営みは、それからでも遅くはない。

 

当ブログや僕のTwitterでも、貧困や教育についての情報を定期的に発信しているので、ぜひ理解を深めるきっかけにしていただければ幸いです。

 

関連記事:日本の子供は、7人に1人が貧困状態。「相対的貧困」の定義と、解決策を考えよう


関連記事:【大学生、社会人向け】人生を変えるオススメの自己投資3選 


【後悔?】マレーシアでの海外生活が一年経ったので、正直に振り返ってみた感想【大学留学】

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早いもので、マレーシアに来てから一年が経った。

 

マレーシアにいると、時間の感覚を忘れる。

日本に住んでいれば、今年の夏は暑いなとか、11月なのに雪が降ったとか、慌ただしい季節の移ろいと共に時が経つのを感じる。しかし、常夏の国マレーシアは、文字どおり常に夏だから、今が何月なのか、たまに忘れてしまいそうになる。日本人は、四季と共に生きているのだと気がついた。

 

マレーシア生活一年目は、悔いの残る結果に

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「海外で暮らすなんて凄いよ!」

 

家族や友人は僕にこう言ってくれるけど、ぶっちゃけ僕は、全然この1年間に満足していない。

 

何かを成し遂げた訳でもない。結果を残した訳でもない。彼女の一人も出来ていないじゃないか。もちろん、例の忌々しいウイルスのせいで3〜4ヶ月は何もできなかった、と言い訳することもできる。

けど、それ以上に、「俺は1年間何をしていたんだろう?」と、後悔にも似たような感情を抱く自分がいる。

 

1年間、マレーシアで何をしていたんだろう 

カレンダー, 壁掛けカレンダー, 日, 日付, 年, 時間, スケジュール, オフィス, 事務所, 計画

僕は一年間、何をしていたんだろう?思い返してみる。

 

①:大学生活

まずは大学生活。

コロナ前まではよかった。初めての海外生活。何もかもが新鮮だった。現地の親友ができ、語学学校のクラスメイトとも仲良くなって、キラキラとしたマレーシア生活を満喫していた。

 

しかし、今年の三月くらいからだろうか。突如始まったロックダウン。

 

関連記事:【画像あり】ロックダウン中のマレーシアの様子をご覧ください【からっぽの街】
4月から入学予定だった大学は5月に延期。初めての講義がオンライン。本当に最悪だった。あんなので友達なんてできるわけがない。語学学校のクラスメイトは、みんな母国に帰ってしまった。外にも出れない。ずっと部屋の中で一人だった。

 

ひとりは嫌いじゃない。でも、一日中家に居るとあっという間にダメになってしまうんだ。憂うつ。なんにもいい事なんてない。とか言いつつ、日々の授業と課題に追われているうちに一学期は終了した。なんと、無事に全教科合格できのだ。中学・高校と、勉強なんてしたことがなかった元不良の自分が、海外大学の授業を英語で受けているなんて、奇跡だと思う。

 

関連記事:【挑戦】偏差値30台で不良少年だった僕が、大学留学をしてみた【マレーシア留学】 

 

しかも、幸いなことに、今月から対面授業が始まり、愉快なクラスメイト達と楽しい大学生活を送っている。多分これから、より楽しい学生生活が待っているはずだ。生きていて良かった。

 

②:ブログ運営

あとは、僕の生業でもあるブログ

留学前からブログを書き始め、並行してTwitterも始めた。今のところ、130記事以上は書いた。

 

関連記事:ブログを100記事書けば稼げるのか?初心者による結果報告【収益とPV公開】

 

いったい誰が真剣に読んでいるのだろう。でも、読者数は300人以上いるし、雀の涙ほどではあるけど収益も発生している。一定数の需要はあるみたいだ。最近は、同じ大学の日本人学生から「ブログ読んでます!」と言われる機会も増えてきた。ブログやTwitterを通して、人との出会いもあった。

 

ブログ運営に明確な目的はない。そもそも僕は、幼少期から独自の世界観みたいなものを持っていたし、自己表現が得意で、文才もそこそこあるから、単純に文章を書くのが好きなんだ。

 

しかし、予想以上に多くの読者さんがついた以上、感謝の意も込め、なるべく読み応えのある記事を書くようにしている。

「人生逆転のマレーシア留学」というブログ名の通り、もともと持たざる者だった街角のならず者が、少しずつ人生を変えていくというストーリーを楽しんで頂ければ幸いだ。

  

③:100冊以上の本を読む

この1年間で100冊以上の本は読んだ。

うち90冊くらいはKindle unlimitedで読み放題の作品だったから、年間の読書代はおそらく2万円ほど

 

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一時期は本当に読書しかしてなかった。

「海外生活をしているのに、読書ばかりするなんて勿体ない!」

 なんていう人は、てんで分かっちゃいない。

 

あえて母国から離れた所で、もう一度過去を振り返り、知識教養を深める。すると、日本の見え方や、幸福のカタチ、人生の意味とか、そういう普遍的な物事が全く違って見える。

 

 

何より、僕は臆病者だから、行動する前によく考える。予想を立てる。分析する。

 

そうなると、情報の質に気をつけなければならない。不特定多数が使うSNSの情報なんて、所詮は便所の落書きだし、その辺の人たちから適当に聞いた情報なんて、大抵は大した情報じゃない。僕はもっと明確な情報が欲しいんだ。

だから、自然と本を沢山読むようになり、結果的に一年間で100冊以上の本を読破した。

 

とはいえ、人との関わりだって大切だから、最近は積極的に人と関わるようにしている読書にハマり、ロックダウンで数ヶ月の自宅待機を経験したせいで、社交性を失いかけていた。人に戻ろうと思う。読書も悪くはないんだけども。 

 

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 よく思い返すと、成長しまくっていた

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何の結果も残さなかった一年間。全然満足していない。

 

こう冒頭で書いたものの、一年前の自分と照らし合わせてみると、全然違う自分が今ここに居る。

 

マレーシアで親友ができた。人との出会いがあった。英語力が上がった。大学で落ちこぼれずに勉強してる。マレーシアの街を巡った。100冊以上の本を読んだ。100記事以上のブログを書いた。ホームシックになって落ち込んだ。悩んだ。そこから立ち直った。先月から格闘技を始めた。先週から日本語教師を始めた。

 

なんだ。確かに、目で見て分かる数字とか結果は残せなかったものの、じゅうぶんに成長しているじゃないか。紆余曲折しながらだった。つくづく、人生とは真っ直ぐに曲がっているものだと思う。

 

ただ、あまりにも自分の世界の中に入り込んでいた。ロックダウンがあったから、仕方がないとはいえ、もう少し人と関わる努力をするべきだった、と反省している。

 

"一年"というキリのいい数字と、"海外"という非日常的な空間に何かを期待していたんだろう。たった一年で結果が出せるなら、誰も苦労しないし、仮にそうなら、世のおっちゃんおばちゃんは、何十個の功績や結果を残している偉人になる。冷静に考えて僕は焦り過ぎていたし、浅はかだった。

 

高く飛ぶ為には走助が必要

この前、叔父と久しぶりに電話をした時、こんな話を聞いた。

 

鍛錬という言葉があるだろう。鍛錬をするには、まずは鍛えなきゃいけない。30年はかかるぞ。そして31年目で、ようやく鍛えたモノが柔らかくなり、そうして自分で練り上げられるようになるんだ。

 

叔父は、いわゆる自営業の人だ。亡くなった父(僕の祖父)の家業を継いで、もうすぐ30年が経とうとしている叔父は、ようやく鍛錬の"練"にたどり着きそうらしい。

 

凄いな。やっぱり大人には敵わない。たかだか一年で何かを成し遂げようとしていた自分は、あまりにも安直すぎるし、まだまだ未熟だと思った。そりゃあ、冷静に考えれば、一山いくらの大学生風情に出来ることなんざ限られている。あまりにも自分を買い被り過ぎだ。

 

高く飛ぶ為には、まず助走が必要だ。欲張りは身を滅ぼす。焦らなくていい。 

 

一年後の自分を予想してみた

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さて、これから向こう一年は何をしようか。一年後の自分はどうなっているんだろう。

 

このご時世だから、 気軽にマレーシア国外へは出かけられない。しばらくは日本に帰れなさそうだ。悲しいけど、悲しんでいたって現状は変わらない。

 

優先すべきは、大学の勉強

まず、なんといっても大学の勉強。これが最優先だ。特に僕の場合、みんなが勉強をしていた中学・高校時代に遊び呆けていたんだ。今までのツケを払おう。懺悔のつもりで、学問に取り組まなければいけない。

 

取り組んでいる二つのボランティア活動

それから、僕には貧困の中で満足に教育を受けられない子供たちに、教育の機会を与えたい、という夢がある。そこで先月から、二つのボランティア活動を始めた。

 

まず一つは、ミャンマー難民「ロヒンギャ族の施設でのボランティア。ミャンマーから迫害されたロヒンギャ族絶対的貧困の中に生きる彼らに、僕は何をしてあげられるんだろう。ボランティアを通して、日々考えている。

 

 

そしてもう一つは、マレーシアのインターン校に通っている日本人の子供たちを対象にした、日本語教室でのボランティア。

 

 

日本語教室では、なんとこの僕が日本語教師として、子供たちに日本語を教えている。生半可な気持ちでは務まらないポジションだ。大学に専念しつつ、これらのボランティア活動にも精を出すつもりだ。

 

自分のやりたい事だってどんどんやる

その合間を縫って、自分の好きな事・やりたい事をしよう。

 

まずこのブログ更新少しずつだけど、面白がって読んでくれる人が増えてきた。僕自身、こうして自分の人生の変化を文章にして書くのを楽しんでいる。読者のためにも、そして自分のためにも、ブログは続けるつもりだ。

 

それと、先月から始めた格闘技。ボクシングをメインにムエタイも練習している。夏休み中なんて、一日二回もジムに通っていた。流石に大学が始まってからは、週2~3回くらいのペースになったけど、継続して練習を積もうと思う。毎回スパーリングでボコボコにされる。その度に自分の弱さを痛感し、強くなりたいという向上心も芽生える。心技体ともに鍛えよう。自分の身は自分で守れるように。そして、大切な人や助けを求めている人をも守れるように。僕に関わる全ての人に、「この男と関われて良かった」と思ってもらえるように。

 

まとめ:紆余曲折の一年間だった

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冒頭では、悲観的にマレーシアでの一年間を振り返ったが、よくよく考えるとすこぶる良い一年間を過ごしていた。

 

なんとなくで一年を振り返ってみても、何かを成し遂げた訳でもないし、結果を残した訳でもないから、「ダメな一年だったなぁ…」と後悔してしまう。でも、こうして丁寧に思い返すと、何にも代え難い1年間だったという事に気がつける。

 

もちろん、自分の努力あってのマレーシア留学だけど、応援してくれる家族や仲間、ブログやTwitterで僕を見てくれている方々、関わってくれる全ての人々がいなければ、今の僕はないと思う。

 

僕はぶっちゃけ全然凄くないし、特別じゃない。海外生活なんて、金と時間を叩けば誰だって出来る。本当に、僕は全然たいした人間じゃないんだ。その証拠に、つい最近も色々あって一人部屋の中で塞ぎ込んでいた。

 

 

そんな時、遠く離れた日本の家族や友達、マレーシアの友達が助けてくれた。人を救うのは人だ。マレーシアに来てから人に救われてばかり。次は僕が人を救う番だ。まだまだ青二才だけど、出来る事からしていこう。

 

この1年間、外国人として生きる中で、人に優しくし、困ってる人は助けよう、と思うようになった。これが何より一番の成長であり、収穫ではないだろうか。

 

今まで関わってくれた人たち、そしてこれから関わる人たち。全員に感謝を。

そして、来年の今年は、「ダメな年だったなぁ…」と後悔しないように、マレーシアで生きようと思う。

それでは。

 

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海外生活が辛くて、悪夢を見てしまった話【マレーシア留学生の苦悩】

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「無意識の中にこそ本当の自分がいる」

精神科医フロイトの本に、確かこんな事が書かれていた。

 

 

僕たちの日常で、もっとも無意識になる瞬間。それは、を見ている時である。

 

 

心境を映し出す、悲しい夢を見た

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夢は心境を映し出す。

 

今朝、僕はひどく怖い夢を見た。いや、怖いというより"悲しい"という表現の方が適切かもしれない。

殺人鬼に追いかけられる夢とか、高層ビルから落下する夢とか、そんな直接的な恐怖を覚える夢なら、わざわざ記事なんか書かない。

 

自分の存在が認識されない空間

夢で見た場所はたぶん、高校か大学だったと思う。

僕は30人くらいのクラスメイトと共に、教室の中にいた。

 

どうやら、これからなんらかの試験(?)テスト(?)が始まるみたいだ。けどまだ時間があるから、各々が談笑をしている。

 

クラス内では既に仲良しグループが出来上がっていて、何やら盛り上がっている。新参者は僕だけだ。だから僕は、彼らに「これからテストだよね?」とか「何の話ししてるの?」とか、どうにか輪の中に入ろうと、話しかけた。

 

しかし、まったくもって相手にされないんだ。話しかけたって、何の返答もない。

無視されているとか、いじめられているとか、そんな感じじゃない。まるで僕という人間が最初から存在していないんだ。幽霊のような、そんな扱いだった。

 

聞こえていますか?見えていますか?そんな問いかけが、虚しく響き渡る。

 

そうこうしている内に、先生がやってきて、テストなるものが始まった。出席をとる時に名前を呼んでもらえたから、おそらく先生は僕の事が見えているんだろう。よかった。僕は確かに存在している。

 

何の力もない自分に対する無力感

テストはとても奇妙な内容だった。

生徒はボクシンググローブをつけて、ミッド打ちをさせられる。体力測定のつもりだろうか?それが終わり次第、机に座らされて筆記試験を受ける。どんな内容の問題だったかは流石に覚えていない。けど、問題は英語表記だった。

 

まずは体力測定。一人ずつミッドを打ち、他のクラスメイトは、それを取り囲むようにして盛り上がっている。しかし、全員がすこぶる綺麗なパンチを打つから驚いた。体育会系の男子から、華奢な女子まで、みんな涼しげな顔をしてプロ顔負けのミッド打ちをする。

「ナイスパンチー!」「いいねぇ!」とみんなで盛り上がる中、僕は少し遠くの方から、それを一人眺めていた。

 

しばらくして、僕の順番が回ってきた。教室内は急に静まり返る。何だこいつら、俺のことが見えているのか?気味が悪かった。畜生。コケにしやがって。やってやる。怒りに任せ、僕はミッドを打った。

 

でも、何故だかうまくパンチが打てない。体が重く、思うように動かない。パンチは軽く、フォームもめちゃくちゃ。ヘンテコで不格好なのが自分でもわかる。周りは笑いもせずに、シーンとしている。

 

待ってくれ。こんなはずじゃない。俺はもっと出来るんだ。褒めてくれ。せめて、囃し立ててくれ。そんな僕の思いとは裏腹に、残酷にも、終了のブザーが鳴り響いた。

「クソッ。どうしてみんな出来るのに、俺には出来ないんだ。」夢の中の僕は、そう憤った。

 

報われない、という恐怖

次は筆記試験。問題はどれも英語表記だ。

 

しかも、そんな生易しいレベルの英語じゃない。小難しい英単語の羅列に、僕は戸惑う。でも、他のクラスメイトは違った。カリカリカリ…と、なんとも心地の良いペンシルの音が教室内にこだまする。あぁ、どうやら戸惑っているのは自分だけみたいだ。

 

他のみんなは違う。問題を理解する読解力と、答えまで導き出せる解答力がもうすでに備わっているんだ。絶望し、頭を抱えている奴は、教室中を見渡したって自分だけ。

 

ひとり。ひとりなんだ。

 

何なんだ、何なんだよ一体。話しかけても相手にされない。ミッドもろくに打てない。試験だって全然ダメ。

 

僕に原因があるのだろうか?悪いことなんか一つもしていない。人に優く、真っ直ぐに生きている。それなのに、どうしてみんな僕を見ようともしないんだ?なぜ報われないんだ?まるで自分以外の全員が、僕を置いてどこか遠くへ行ってしまうような感覚だ。待ってくれ。なぜ?どうして?自問自答が続く。

 

なぜ悲しい夢を見てしまったのだろう

ここで眠りから覚めた。

まだ外は暗かったから、たぶん4時か5時、そのくらいに目覚めたと思う。けど、現在時刻を確認するのが怖くて、どうにか二度寝をしようとした。

 

それにしても、ひどく悲しい夢を見てしまった。もはやあれは悪夢だ。

二度寝する最中、

「何でこんな夢てしまうんだろう。俺は何も悪い事をしていないのに。どうしてだ?」

と、まどろみながら自問自答をした。

 

僕の日常を思い出してみる。マレーシアの大学に留学している僕は、決して大学でいじめられているとか、はぶかれているとか、そういう訳ではない。むしろ、みんなとてもフレンドリーに接してくれる。この日だって、寝る直前まで仲良くなったクラスメイトと、あーだこーだとチャットをしていたくらいだ。僕の周りに、意地悪な人は一人もいない。

 

だからこんな悪夢を見てしまうのも、僕の考え方や心に問題があるんだと思う。

 

昨日の記事で、僕はこんな事を書いた。

仲の良い友達とて、だ。自分を100%理解してくれる人なんて、まずいない。それぞれにそれぞれの人生がある。会話中にスマホを弄られた時。僕の期待していた反応をしてくれなかった時。「予定がある」と遊びを切り上げられた時。遊び終わった帰り道。僕は何故だか、すごく寂しいと感じる。一緒の空間にいるけど、まるで魂は全く別の場所にいるみたいだ。みんな、どこか遠い所に行ってしまうんじゃないか。僕はここにいるのに。一人じゃない時でも、一人でいる感覚。

 

賑やかな日常を過ごしているのにも関わらず、どこか孤独を感じてしまうのは、こうした理由がある。

 

関連記事:何のために生きるのか?マレーシアで、人生の目的や意味をふと考える


こうしたリアルな心境が、奇妙な夢として映し出されたんだろう。

同じ空間にたくさんの人がいても、心を通わせていなければ、僕は孤独を感じる。外国人として生きるのであれば、それは尚更だ。

 

心を通わせるって、そんなに簡単な事じゃない。性格の不一致とか、お互いを知るまでの過程とか、そういう障壁を超えて人は心を通わせる。この障壁を超えていない人に対して、僕は軽々しく友達という言葉は使いたくない。

 

だからといって、決して人が嫌いな訳ではない。僕は、自分でいうのもなんだけど、人にはとても優しい。友達だって、一人より、二人いた方がイイにきまっている。多ければイイってもんでもないが。。

 

難しい。考えれば考えるほど、人間関係ってのは難しい。ガキの時分のように、「友達100人出来るかな」なんて歌っていた頃の方が、無知だけど、実はよっぽど幸せだったんじゃないか。変に賢くなってしまった。

 

 

太宰治の本に書いていた、「知恵の実を食べると、人間は、笑いを失うものらしい。」というこの一文。僕はきっと、どこかの拍子でこの"知恵の実"を食べてしまったんだ。そうに違いない。だからこんなにむつかしく考えてしまうんだろう。

 

ここ最近のブログを読んでもらえればわかる通り、僕はあんまり調子が良くない。やれ孤独だ、人間関係だ、悪夢だ、気でも狂っているのかもしれない。

 

昨日までの生き方が、今日の自分を形作る。

昨日までの自分は最低だったんだ、と否定する訳ではないけど、先週くらいからずっと調子が悪いのにはなんらかの理由が必ずある。気づけただけマシなのかもしれない。

 

ここで待っていても誰も来ない。あまり考えすぎても体に毒だ。改善しよう。歩き出そう。

今夜はいい夢が見れるといいな。

 

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何のために生きるのか?マレーシアで、人生の目的や意味をふと考える

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どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

ぼくたちは何のために生きているのか?

今日は、このことについて考えてみました。

 

 

生まれてきた意味なんて、無いのかもしれない

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「生まれてきた意味なんてない。生きるという過程の中で、自分で人生に意味づけをしてくだけだ。」

 

僕はこう考えている。

 

それでも、一年に一回くらい、何のために生きているのか?と考え込む時がある。

死ぬほど毎日しんどいとか、誰かに傷つけられているという訳ではない。死んでしまいたい、と悲観的になっている訳でもない。

 

でも最近、夜寝る前とか、朝起きる時とか、そんなふとした瞬間に、

「自分は何のために生きているんだろう?」 

とつい考え込んでは、何もかもが億劫になってしまうんだ。

 

こんな考えを抱くのは一時的で、一度ベッドから重い腰を上げ、シャワーを浴び、決まり切った朝の身支度を機械的に済ませて外に出てしまえば、何らいつもと変わらない今日が始まる。

 

平日は大学の授業がある。勉強は楽しいもんだ。ようやく対面授業が始まったから、教室に行けば教授もクラスメイトもいる。留学生は自分だけだから、みんな話しかけてくれる。またぼくは、朝か夕方にいつも格闘技ジムへトレーニングをしに行くのだが、そこにも顔なじみのコーチや練習生がいる。側からみれば、賑やかで充実した日常。

 

生きる意味を真剣に考えない人こそ、どうかしている

それなのに、なぜぼくは生きる意味なんかを考えているのだろう?

きっとこの記事を読んだ人は、

「こいつは精神が病んでいるのか?まったく、どうかしてる」

と思うかもしれない。

 

しかし、僕から言わせてみれば、生きる意味を探そうとしない、熟考しない人の方がどうかしているのだ。

 

僕はただ、人間の根源的な部分を見つめ直しているに過ぎない。そんな根源すらろくに理解しようともせずに生きてみても、それは、人としての土台が定まっていないのだから、軸のない人間になってしまうのではないのだろうか。

 

人生の夢や目標を、思い出してみよう

"自分にはこんな夢や目標があって、その為に生きたい。"

 

こうした明確な目的を欲する自分がいる。いや、夢や目標はある。

まず僕は、この世に生まれてきた以上、僕にしか出来ない事をしたいと思っている。僕が死んだとき、代わりが幾らでもいるような事はあんまりしたくない。

 

文章を書くのが好きだから、僕にしか書けない文章を書きたい。元不良で、貧しかった奴が、工場でしこたま貯めたあぶく銭を抱え、人生かけて海外の大学で留学している。そんな奴は、多分僕くらいしか居ないだろう。しまいには、本の一冊でも執筆して、世に残したい。そんな夢がある。

 

あとは、日本の相対的貧困のなかで苦しむ子供たちに、教育の機会を与えたいという夢もある。それは、同じような環境の中で育ってきた僕だからこそできる事だと思っている。

 

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もちろん、将来は結婚して子供だって欲しい。一軒家を建てて、犬を飼いたい。山奥か海辺、自然の囲まれたところで、ゆっくりと自分の人生を生きたい。これだって立派な夢だ。

 

今の僕は、こうした夢を糧に毎日を生きている。

でも、今日何かを頑張って、明日にでも結果がすぐに出るほど、人生は真っ直ぐじゃない。

 

何処なのかも分からない、薄暗い道の中を、ひとり黙々と走っている。いったい、いつになったら光が差すのか?ゴールはまだなのか?何も見えない。でも、足を止めたってゴールへは辿り着けないから、ひたすら走るしかない。

今の僕は、まさにこんな感じだ。

 

あまりに何も見えない暗い道だから、夢とか希望とか、大事な物を全て見失ってしまうんじゃないかと怖くなったりもする。そんな時は、自分を見つめ直し、やりたい事を思い出す。そしてまた、忘れそうになっては、思い出す。その繰り返しだ。

 

一人じゃ生きれないけど一人ずつの僕たち

生きる上で最も大切なのが、良好な人間関係だ。これが意外と難しい。

むかし読んだ本によると、悩みの99%は人間関係が原因らしい。

 

 

赤ん坊のころは、一人じゃ何も出来ないから、何もかも母親に世話して貰った。

しかし、時が経つにつれ、二足で歩けるようになり、言葉を覚え、自我が芽生え、そうして自立する。

 

自立。すなわち、自分で立つ事だ。だが、人として生きるには、人と関わっていく必要がある。"人間"というのは、文字通り、人と人の"間"が重要になる。遠過ぎても、近過ぎてもダメだ。ぼくは最近、この"間"に関してよく分からなくなっている。

 

当然だが、全く同じ見た目と中身を持つ人間なんてのは存在しない。人はみんな違う。当たり前だ。だから会話をしていても、意見が食い違ったり、分かり合えなかったりする時がある。

 

仲の良い友達とて、だ。自分を100%理解してくれる人なんて、まずいない。それぞれにそれぞれの人生がある。会話中にスマホを弄られた時。僕の期待していた反応をしてくれなかった時。「予定がある」と遊びを切り上げられた時。遊び終わった帰り道。僕は何故だか、すごく寂しいと感じる。一緒の空間にいるけど、まるで魂は全く別の場所にいるみたいだ。みんな、どこか遠い所に行ってしまうんじゃないか。僕はここにいるのに。一人じゃない時でも、一人でいる感覚。

 

賑やかな日常を過ごしているのにも関わらず、どこか孤独を感じてしまうのは、こうした理由がある。

 

何をこんなに難しく考えているんだろう。でも、海外で長い事生活をしている人は、一度や二度、人間関係について考えるはずだ。外国人として生きる以上、こうした気苦労は付き物なんだ。でも、今の僕の人間関係に対する考え方は、あまりにも極端だと最近気付いたから、改善しようと思っている。

 

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自分らしく生きていれば良いや

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いろいろと書いたが、所詮は20代学生の戯言だ。生きる意味を完璧に見つられるほど神様は優しくない。

僕はこれからも模索し続けるが、今はとにかく、自分に正直に、やりたい事をやって、まっすぐに生きれば良いんじゃないかと思っている。

 

兎にも角にも、生きる意味を考えるという行為は、決して無駄なことではない。考え抜いた上で、自分は何のために生きたいと思えるのかが見えてくるからだ。

 

生きる意味が分からなくなったら、何をしている時に幸せや楽しさを感じるのか?正直に考えて欲しい。

親とか、友達とか、そういった外的要因は考えずに、本当の自分と向き合った上で、自分は何をしたいのかを考えることが重要だ。自分になろう。

 

くれぐれも、「生きる意味が分からない。じゃあ、死のう。」といった、短絡的な考え方はしてはいけない。死んだら意味ない。

いつか必ず、光さす時がやってくる。僕もあなたも、今は真っ暗闇の中だけど、それが一生続く訳じゃない。

 

報われない努力。救われない孤独。

それでも走ろう。いつかくるその時に静かに思いを馳せて。

 

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「他人に興味や関心がない」という性格を治そうと思った話

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どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

 

他人にあまり興味がないという事は、悪いことなのか?

これは最近の僕の悩みであり、疑問でもあります。

今日は、そんな人間関係について書きました。

 

  

他人に興味がないのは、悪いことなのか?

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2020年9月11日現在のマレーシアでは、例の忌々しいウイルスによる規制もだいぶ緩和され、街はいつもの騒がしさを取り戻しつつある。僕の大学生活もそれは同じで、今学期より、ようやくオンライン授業から対面授業に切り替わった。

 

大学の授業というと、当然、教室内には教授とクラスメイトがいるものだが、僕はどうも他人に興味がないようだ。態度の悪い不良生徒、という位置付けではない。むしろ僕は、授業はめちゃくちゃ積極的に受ける。教授から一番近い席を陣取り、質問をされたら、いの一番で答える。グループでのディスカッションがあれば、ガンガン話す。完璧な英語ではないけど、意欲的な日本人留学生、といった感じだ。

 

しかし、授業が終わったら話は別。他のクラスメイトたちが、あーでもないこーでもないと与太話をしているのを横目に、僕はせっせと身支度を済ませ、

「See ya guys!(じゃあな、みんな!)」 

と軽い挨拶をして、早々に教室から出る。

 

それが一日最後の授業なら、家に帰ってジムへ行く準備をしたいし、次の授業まで時間があれば、図書館や食堂でブログを書いたり、授業の復習をしたい。こういった行動は、誰かがいると捗らない。一人の方が、ずっと効率よく行える。

 

かといって、クラスメイトが嫌いなのか?と言われれば、全然そんなことはない。むしろ、授業に参加してくれてありがとうだし、ディスカッションしてくれてありがとうだ。

 

なぜ他人に興味が持てないのか?

じゃあなぜ、僕はなぜこんなにも他人に興味が持てないのか?

いい機会なので、分析してみました。

 

洞察力が鋭すぎて、疲れる

僕は、小学生の頃、よく親や先生に「人の顔色を伺いすぎだ」と注意された。

その頃の僕は、人の事を観察するのが好きだったんだと思う。

  • 人は何を考えているのか?
  • 自分が起こしたアクションによって、人はどう反応するのか?

そんな事を、子供ながらに考えていたのを覚えている。

 

そんな調子だったから、僕はやたら分析とか洞察に長けている。人と話す時なんかは特にだ。同年代くらいの、いわゆる若者であれば、一度や二度話すだけで、なんとなくその人の人となりが分かってしまう。

 

他人に興味がないとかなんとか言ってますが、多分僕は、誰よりも他人を見ている。だから、話し相手を分析したり、洞察したりする。「この人とはこういう付き合い方をすればいいな」とか考えたりまでする。

 

洞察力の鋭さ故に、他人に振り回されたり、騙されたりした試しはないが、疲れを感じるのもまた事実だ。

 

「俺か、俺以外か」という考え方

ローランドよろしく、「俺か、俺以外か」という思考。

おこがましいが、僕は彼にシンパシーを感じる。

 

僕は、人はそれぞれまったく別の生き物だと思っていて、深くお互いを理解しあえる人なんて、世の中に10人いればイイくらいだとすら思っている。だから、相手の洞察をしてみても、大体は「あっ、この人は自分とは別だな」と感じてしまい、どこか寂しくなる。 

 

 

俺は俺。キミはキミ。こっちはこっちで、そっちはそっち。

といった思考なため、なかなか他人に干渉しようと思えない。

 

他人に興味を持つ努力をしようと思ったきっかけ

良いのか悪いのか分からないが、僕はずっとこんな調子だ。

しかし先日、この思考を考えなおそうかなと思える機会があった。それは、大学での話。一時限目が終わり、1時間半の空きコマを過ごし、二時限目に出席した時のこと。

 

クラスメイトから、こんな事を言われた。

 

「ユウト、今まで一体、どこに行ってたんだ?空きコマが暇だったから、次の授業までキミとどこかで話でもしながら時間を潰したかったのに。一時限目が終わり次第、キミはせっせと教室を出て行ってしまうから、話しかけられなかったんだよ。」

 

そこでハッと気がついた。僕はあまりにも他人に興味がなさすぎる。

 

今までの僕は、自分から誰かに話しかけたりする事があまりなかった。家族に対してもそうかもしれない。仲良い友達に対してもそう。自分から誘うことはあまりない。恋愛に関してはもっとひどい。色男を気取る訳ではないが、女の子から告白されたことは割と何度もある。けど、自分から女の子に告白したことは、たったの一度もない。

 

どちらかというと、周りについていくというよりも、周りがついてきてくれる事の方が多かった。

 

自分から相手に歩み寄る、相手に興味をもつ、という体験が僕には欠けている。これはあんまりよくないのではないか?もっと他人に関心を持つ努力をしてみよう。

クラスメイトから言われたひとこと事によって、僕はそう考え始めるようになりました。

 

他人に関心のない僕が、良好な人間関係を築く方法を考える

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他人に興味のない僕は、その分、一度心を開いた友達のことをずっと大切にする。深く狭い関係。日本には数年から数十年単位で仲を深めてきた仲間たちがいるから、それでよかった。けどマレーシアで、外国人として生きる上では、これを改めないと、多分ぼくは孤独のままだ。

 

日本にいる友達とは、どのような過程を経て深い仲になったのかを思い出してみると、それは、趣味や同じ思考といった、共通言語を持っていたからに他ならない。

 

特に、高校の頃から始めた音楽。僕は音楽を通して、年齢や出身の垣根を超え、いろんな人と深いつながりを持つことができた。彼らはいまだに、僕にとっての良き理解者であり、親友でもある。

 

共通言語がいかに大切か?人間の歴史を辿ってみるとよく分かる。

サピエンス全史を参考に考えよう。

 

 

人類がなぜここまで発展したのか?それは、宗教という共通言語が存在したからである。宗教を通して、昔の人々は強い繋がりを持ち、互いに協力し合い、そうして進化を遂げた。

 

宗教という共通言語を軸に、人々は深いつながりを持ったのだ。人間関係の本質は今も昔も変わらない。これを逆算すれば、他人に興味がない僕たちが良好な人間関係を築くためにするべきことが分かる。

 

良い人間関係を築く為の具体例

そんなに難しくない。

まずは、自分の好きなことやりたい事(次からは目的と呼ぶ)を見つけ、そして情熱を注ぐ。次に、同じ目的を持つ者が集まるコミュニティーに参加してみる。

 

多分、これが一番良いのではないだろうか。"同じ目的"という名の共通言語を持つ者同士だから、比較的良い人間関係を築けると思う。

 

とはいえ、やりたい事が何もない。何なのか分かっていない。という人も多く存在する。そういう人たちに向けて、後日でも「やりたいことの探し方」みたいな記事を書く予定なので、ぜひ参考までに。

 

反省:もっとオープンマインドになろう

 

僕はずっと、孤独に強くならなければいけないと思っていた。いや、それは今でも思っている。でも、その思いが極端に強すぎて、空回りしていた。尖っていた。海外で一人過ごした3ヶ月ほどのロックダウン生活が、そういった考えをより助長させた。そして、「人間関係」の大切さを忘れかけていた。

 

何もこれを機に、猫なで声で愛想を振りまく八方美人になります!という訳ではない。

あくまでも僕は僕だ。それは、これからもブレずに貫き通す。でも、自分から歩み寄る努力をするべきだと気付いたんだ。せっかく海外に、しかも人種のるつぼ、マレーシアにいるんだから、もっと色んな人と関わってみるのも悪くはないじゃないか。面白そうな人に対して、「おっ、なんだかこの人は面白そうだ」って感じられる価値観とマインド。あとは、関心を持てる心。これを養おう。

 

やりたい事だって見つかり始め、少しずつ行動している。まだ始まったばかりだから孤独だけど、これから人と関わる機会も増えると思う。いい人間関係を築こう。僕は決して、他人が嫌いなわけじゃないんだし。

 

段々と、そして真っ直ぐに行こう。

 

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マレーシアの大学で出会った先生が、ホームシックの僕を救ってくれました【留学生活】

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どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

今週から新学期がはじまったのですが、とてもいい先生に巡り合えました。

 

 

セラピストでもある英語の先生に人生相談

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恩師となるその人は、僕の英語の先生。4〜50代くらいで、シンガポール出身の女性。

 

今日は授業初日。それぞれが自己紹介をして、授業のスケジュール確認をして、必要な教科書なんかを説明するだけなので、30分ほどで授業自体は終了。

 

しかし、授業後、僕は先生にとある相談をしました。

というのも、ここ最近の当ブログを読んで頂いている読者ならお分かりだと思いますが、僕は先週くらいからどうも元気がないです。おそらく、ホームシックなのでしょう。孤独を感じる日々で、どこか憂うつ。

 

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偶然でしょうか。その先生は、教師の他にも、セラピストやヨガのインストラクターとしても活動しているそう。

 

だから僕は、先生にこう尋ねます。

「先生。セラピストとして相談に乗ってくれませんか?実は僕、ここ最近ホームシックなんです。ずーっと憂うつで、孤独を感じます。どうしたらいいですか?」

 

すると先生は、心配そうな顔をして、

「あなたの気持ち、すごくよく分かるよ。私もイギリス留学していたからね。イギリス人ってね、週末はよくハウスパーティをするの。でも私、騒がしいのが好きじゃないからねぇ。だから一人の時間が多かった。」

 

っていうもんですから、同じく騒がしい集団が苦手な留学生の僕は、妙にこの先生にシンパシーを感じます。この先生なら、今の僕の気持ちを理解してくれるはずだ。よし、相談しよう、と決心しました。

 

英語だから、自分の弱さを話せた

不思議なもので、日本語と英語を話すときの僕では、まるっきり性格が違う。

 

日本語を話すときの僕はというと、やたら強がるし、格好つける。「寂しい」とか「辛い」とか、そんな言葉は男として決して口にしてはいけない、とさえ思っている。

 

けど英語だと、素直に自分の気持ちを伝えられる。英語はストレートな言語だ。YesなのかNoなのか、はっきりしないと相手にも伝わらない。そんな性質を持つ言語だから、話し手の性格までもが素直になる。少なくとも僕はそうです。

 

だから僕は、恥ずかしいといった感情もなく、淡々と心情を先生に伝えることができたのです。

 

ホームシックという悩みに対する、先生の意外な回答

寂しいんだ。憂うつなんだ。決して不健康な生活を送っている訳ではない。十分な睡眠をとってる。格闘技だってやってるから、運動不足なわけでもない。友達だっている。側からみれば、すこぶる元気なのかもしれない。でも何故だか、ずっと孤独を感じるんだ。ホームシック。日本にいる家族や仲間が恋しい。

 

こう伝えた僕に対する先生の答えは、意外なものでした。

 

「よし、分かった。ユウト、私のヨガ教室に来てみない?そこにはあなたの未来の友達がいる。あなたは一人なんかじゃないわ。」

 

ヨガの事はそれなりに知っている。自分の心を鎮める効果があるとかなんとか。それこそ、僕がたまにする瞑想だってヨガの一つだ。

クラブだの、飲み会だのでどんちゃん騒ぎするのに疲れた僕にとって、ヨガは性に合ってるかもしれない。

 

僕は二つ返事で、「行きます!」と答えました。という事で、僕は来週から、ヨガを習うことになったのです。

 

そして、先生は僕にいくつかのヨガを教えてくれました。

呼吸法やらストレッチやら、基本的なヨガの動作を、実際に先生と一緒に、授業後の教室の中でポーズを取りながら教わったのです。先生によると、これらのストレッチを毎日30分くらいするのがベストだそう。頭のモヤモヤが取れ、自分のやるべき事に集中できるから、ストレス解消のみならず、作業効率も上がるとの事。

 

「なるほど、メディテーション(瞑想)に似てますね!」と僕が言うと、先生は、「そうよ、瞑想と効果は似てるわ。私たちはこれを、ムービング メディテーション(動く瞑想)と呼ぶのよ」と教えてくれた。

 

動く瞑想かぁ。今晩でも、寝る前にやってみます。

 

最後に、「あなたが心配だわ。次の授業までカラダに気をつけるんだよ。」と心配してくれた先生、ありがとう。まだ出会って間もないですが、あなたは僕の恩師です。僕の鋭い勘がそう働いているので、間違いありません。

 

正直な気持ちを言わないと、誰にも伝わらない

先ほど、英語と日本語では僕の性格が異なる、と話しました。

英語ならストレートに気持ちを伝えられる。けど日本語だと、どうも格好つけてしまうのです。

 

しかし今回、先生がこうして僕を心配してくれてヨガ教室に誘ってくれたのは、まさしく僕が素直に悩みを相談したからです。

 

同じ相談を、日本人にできるか?と言われれば、おそらく無理だったでしょう。

建前や空気を読むといった概念がある日本語。皆まで言わなくても、相手はきっと理解してくれるんじゃないか。そう思い、ストレートに思いを伝えることができなかったりします。

 

自分の気持ちを素直に伝える。しんどい時はしんどいって言ってもイイ。

そういえば、先日の記事で書いた恋愛の話だってそう。僕が素直にならず、愛する気持ちとは裏腹に別れを告げたから、いまだに少し後悔している。

 

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自分の本当の気持ちというのは、自分自信が声に出して相手に言わない限り、誰にも伝わらないんですね。

この一件を通して、僕はこんな当たり前なことを再認識しました。

 

悩みを抱えたままにするのは、やめよう

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頑張ってる時、ちょっと無茶してる時、本気で取り組んでる時、人は悩みます。だから、今この瞬間にめちゃくちゃ悩んでる僕やあなたは、そのまま悩んで、そのまま突き進めばいいんだと思います。

 

けど、このなんともめんどくせぇ"悩み"って奴とは、丁寧に、腫れ物を扱うかのように、うまく付き合っていかなければなりません。

 

ずっと悩みを抱え込んでいると、すごくストレスだし、病んで鬱になる可能性だってあります。だから、悩みはその都度吐き出しましょう。僕みたいに、自分の弱い姿を見せたくない、っていう方は、紙に書き出すのもアリです。この前大学の研究で調べたんですが、悩み事は紙に書き出すだけでかなりストレス解消になるみたいですよ。もちろん、人に話すのもいいです。

 

しかし、一つ気をつけていただきたいのが、世の中には悪い奴もいるという事。人が弱っているところを漬け込んで、金儲けしようとしたり、欲を満たそうとしたりするクズだっています。

 

 

僕は、人間関係において、ヒョイヒョイとすぐに心を開かないようにしています。ただ、フィーリングの合う人、シンパシーを感じる人は別。今回紹介した英語の先生に関しても、フィーリングがバッチリあったし、何より自分の勘が「この人に相談すれば間違いないぞ」と働いてくれたので、信用して相談した次第です。

 

この人、大丈夫かな?と、疑いの目を持つこと。何事においても、一度疑ってみるという行為は大切ですからね。真っ直ぐに生きていれば、同じく真っ直ぐに生きている人を引き寄せます。僕と恩師のように。

 

悩み事に負けず、真っ直ぐ突き進みましょう。それでは。

 

 

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