どうも、ユウト(@Just_Yuto)です。
他人にあまり興味がないという事は、悪いことなのか?
これは最近の僕の悩みであり、疑問でもあります。
今日は、そんな人間関係について書きました。
他人に興味がないのは、悪いことなのか?
2020年9月11日現在のマレーシアでは、例の忌々しいウイルスによる規制もだいぶ緩和され、街はいつもの騒がしさを取り戻しつつある。僕の大学生活もそれは同じで、今学期より、ようやくオンライン授業から対面授業に切り替わった。
大学の授業というと、当然、教室内には教授とクラスメイトがいるものだが、僕はどうも他人に興味がないようだ。態度の悪い不良生徒、という位置付けではない。むしろ僕は、授業はめちゃくちゃ積極的に受ける。教授から一番近い席を陣取り、質問をされたら、いの一番で答える。グループでのディスカッションがあれば、ガンガン話す。完璧な英語ではないけど、意欲的な日本人留学生、といった感じだ。
しかし、授業が終わったら話は別。他のクラスメイトたちが、あーでもないこーでもないと与太話をしているのを横目に、僕はせっせと身支度を済ませ、
「See ya guys!(じゃあな、みんな!)」
と軽い挨拶をして、早々に教室から出る。
それが一日最後の授業なら、家に帰ってジムへ行く準備をしたいし、次の授業まで時間があれば、図書館や食堂でブログを書いたり、授業の復習をしたい。こういった行動は、誰かがいると捗らない。一人の方が、ずっと効率よく行える。
かといって、クラスメイトが嫌いなのか?と言われれば、全然そんなことはない。むしろ、授業に参加してくれてありがとうだし、ディスカッションしてくれてありがとうだ。
なぜ他人に興味が持てないのか?
じゃあなぜ、僕はなぜこんなにも他人に興味が持てないのか?
いい機会なので、分析してみました。
洞察力が鋭すぎて、疲れる
僕は、小学生の頃、よく親や先生に「人の顔色を伺いすぎだ」と注意された。
その頃の僕は、人の事を観察するのが好きだったんだと思う。
- 人は何を考えているのか?
- 自分が起こしたアクションによって、人はどう反応するのか?
そんな事を、子供ながらに考えていたのを覚えている。
そんな調子だったから、僕はやたら分析とか洞察に長けている。人と話す時なんかは特にだ。同年代くらいの、いわゆる若者であれば、一度や二度話すだけで、なんとなくその人の人となりが分かってしまう。
他人に興味がないとかなんとか言ってますが、多分僕は、誰よりも他人を見ている。だから、話し相手を分析したり、洞察したりする。「この人とはこういう付き合い方をすればいいな」とか考えたりまでする。
洞察力の鋭さ故に、他人に振り回されたり、騙されたりした試しはないが、疲れを感じるのもまた事実だ。
「俺か、俺以外か」という考え方
ローランドよろしく、「俺か、俺以外か」という思考。
おこがましいが、僕は彼にシンパシーを感じる。
僕は、人はそれぞれまったく別の生き物だと思っていて、深くお互いを理解しあえる人なんて、世の中に10人いればイイくらいだとすら思っている。だから、相手の洞察をしてみても、大体は「あっ、この人は自分とは別だな」と感じてしまい、どこか寂しくなる。
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俺は俺。キミはキミ。こっちはこっちで、そっちはそっち。
といった思考なため、なかなか他人に干渉しようと思えない。
他人に興味を持つ努力をしようと思ったきっかけ
良いのか悪いのか分からないが、僕はずっとこんな調子だ。
しかし先日、この思考を考えなおそうかなと思える機会があった。それは、大学での話。一時限目が終わり、1時間半の空きコマを過ごし、二時限目に出席した時のこと。
クラスメイトから、こんな事を言われた。
「ユウト、今まで一体、どこに行ってたんだ?空きコマが暇だったから、次の授業までキミとどこかで話でもしながら時間を潰したかったのに。一時限目が終わり次第、キミはせっせと教室を出て行ってしまうから、話しかけられなかったんだよ。」
そこでハッと気がついた。僕はあまりにも他人に興味がなさすぎる。
今までの僕は、自分から誰かに話しかけたりする事があまりなかった。家族に対してもそうかもしれない。仲良い友達に対してもそう。自分から誘うことはあまりない。恋愛に関してはもっとひどい。色男を気取る訳ではないが、女の子から告白されたことは割と何度もある。けど、自分から女の子に告白したことは、たったの一度もない。
どちらかというと、周りについていくというよりも、周りがついてきてくれる事の方が多かった。
自分から相手に歩み寄る、相手に興味をもつ、という体験が僕には欠けている。これはあんまりよくないのではないか?もっと他人に関心を持つ努力をしてみよう。
クラスメイトから言われたひとこと事によって、僕はそう考え始めるようになりました。
他人に関心のない僕が、良好な人間関係を築く方法を考える
他人に興味のない僕は、その分、一度心を開いた友達のことをずっと大切にする。深く狭い関係。日本には数年から数十年単位で仲を深めてきた仲間たちがいるから、それでよかった。けどマレーシアで、外国人として生きる上では、これを改めないと、多分ぼくは孤独のままだ。
日本にいる友達とは、どのような過程を経て深い仲になったのかを思い出してみると、それは、趣味や同じ思考といった、共通言語を持っていたからに他ならない。
特に、高校の頃から始めた音楽。僕は音楽を通して、年齢や出身の垣根を超え、いろんな人と深いつながりを持つことができた。彼らはいまだに、僕にとっての良き理解者であり、親友でもある。
共通言語がいかに大切か?人間の歴史を辿ってみるとよく分かる。
サピエンス全史を参考に考えよう。
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人類がなぜここまで発展したのか?それは、宗教という共通言語が存在したからである。宗教を通して、昔の人々は強い繋がりを持ち、互いに協力し合い、そうして進化を遂げた。
宗教という共通言語を軸に、人々は深いつながりを持ったのだ。人間関係の本質は今も昔も変わらない。これを逆算すれば、他人に興味がない僕たちが良好な人間関係を築くためにするべきことが分かる。
良い人間関係を築く為の具体例
そんなに難しくない。
まずは、自分の好きなことやりたい事(次からは目的と呼ぶ)を見つけ、そして情熱を注ぐ。次に、同じ目的を持つ者が集まるコミュニティーに参加してみる。
多分、これが一番良いのではないだろうか。"同じ目的"という名の共通言語を持つ者同士だから、比較的良い人間関係を築けると思う。
とはいえ、やりたい事が何もない。何なのか分かっていない。という人も多く存在する。そういう人たちに向けて、後日でも「やりたいことの探し方」みたいな記事を書く予定なので、ぜひ参考までに。
反省:もっとオープンマインドになろう
僕はずっと、孤独に強くならなければいけないと思っていた。いや、それは今でも思っている。でも、その思いが極端に強すぎて、空回りしていた。尖っていた。海外で一人過ごした3ヶ月ほどのロックダウン生活が、そういった考えをより助長させた。そして、「人間関係」の大切さを忘れかけていた。
何もこれを機に、猫なで声で愛想を振りまく八方美人になります!という訳ではない。
あくまでも僕は僕だ。それは、これからもブレずに貫き通す。でも、自分から歩み寄る努力をするべきだと気付いたんだ。せっかく海外に、しかも人種のるつぼ、マレーシアにいるんだから、もっと色んな人と関わってみるのも悪くはないじゃないか。面白そうな人に対して、「おっ、なんだかこの人は面白そうだ」って感じられる価値観とマインド。あとは、関心を持てる心。これを養おう。
やりたい事だって見つかり始め、少しずつ行動している。まだ始まったばかりだから孤独だけど、これから人と関わる機会も増えると思う。いい人間関係を築こう。僕は決して、他人が嫌いなわけじゃないんだし。
段々と、そして真っ直ぐに行こう。
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