どうも、ユウト(@Just_Yuto)です。
ぼくたちは何のために生きているのか?
今日は、このことについて考えてみました。
生まれてきた意味なんて、無いのかもしれない
「生まれてきた意味なんてない。生きるという過程の中で、自分で人生に意味づけをしてくだけだ。」
僕はこう考えている。
それでも、一年に一回くらい、何のために生きているのか?と考え込む時がある。
死ぬほど毎日しんどいとか、誰かに傷つけられているという訳ではない。死んでしまいたい、と悲観的になっている訳でもない。
でも最近、夜寝る前とか、朝起きる時とか、そんなふとした瞬間に、
「自分は何のために生きているんだろう?」
とつい考え込んでは、何もかもが億劫になってしまうんだ。
こんな考えを抱くのは一時的で、一度ベッドから重い腰を上げ、シャワーを浴び、決まり切った朝の身支度を機械的に済ませて外に出てしまえば、何らいつもと変わらない今日が始まる。
平日は大学の授業がある。勉強は楽しいもんだ。ようやく対面授業が始まったから、教室に行けば教授もクラスメイトもいる。留学生は自分だけだから、みんな話しかけてくれる。またぼくは、朝か夕方にいつも格闘技ジムへトレーニングをしに行くのだが、そこにも顔なじみのコーチや練習生がいる。側からみれば、賑やかで充実した日常。
生きる意味を真剣に考えない人こそ、どうかしている
それなのに、なぜぼくは生きる意味なんかを考えているのだろう?
きっとこの記事を読んだ人は、
「こいつは精神が病んでいるのか?まったく、どうかしてる」
と思うかもしれない。
しかし、僕から言わせてみれば、生きる意味を探そうとしない、熟考しない人の方がどうかしているのだ。
僕はただ、人間の根源的な部分を見つめ直しているに過ぎない。そんな根源すらろくに理解しようともせずに生きてみても、それは、人としての土台が定まっていないのだから、軸のない人間になってしまうのではないのだろうか。
人生の夢や目標を、思い出してみよう
"自分にはこんな夢や目標があって、その為に生きたい。"
こうした明確な目的を欲する自分がいる。いや、夢や目標はある。
まず僕は、この世に生まれてきた以上、僕にしか出来ない事をしたいと思っている。僕が死んだとき、代わりが幾らでもいるような事はあんまりしたくない。
文章を書くのが好きだから、僕にしか書けない文章を書きたい。元不良で、貧しかった奴が、工場でしこたま貯めたあぶく銭を抱え、人生かけて海外の大学で留学している。そんな奴は、多分僕くらいしか居ないだろう。しまいには、本の一冊でも執筆して、世に残したい。そんな夢がある。
あとは、日本の相対的貧困のなかで苦しむ子供たちに、教育の機会を与えたいという夢もある。それは、同じような環境の中で育ってきた僕だからこそできる事だと思っている。
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もちろん、将来は結婚して子供だって欲しい。一軒家を建てて、犬を飼いたい。山奥か海辺、自然の囲まれたところで、ゆっくりと自分の人生を生きたい。これだって立派な夢だ。
今の僕は、こうした夢を糧に毎日を生きている。
でも、今日何かを頑張って、明日にでも結果がすぐに出るほど、人生は真っ直ぐじゃない。
何処なのかも分からない、薄暗い道の中を、ひとり黙々と走っている。いったい、いつになったら光が差すのか?ゴールはまだなのか?何も見えない。でも、足を止めたってゴールへは辿り着けないから、ひたすら走るしかない。
今の僕は、まさにこんな感じだ。
あまりに何も見えない暗い道だから、夢とか希望とか、大事な物を全て見失ってしまうんじゃないかと怖くなったりもする。そんな時は、自分を見つめ直し、やりたい事を思い出す。そしてまた、忘れそうになっては、思い出す。その繰り返しだ。
一人じゃ生きれないけど一人ずつの僕たち
生きる上で最も大切なのが、良好な人間関係だ。これが意外と難しい。
むかし読んだ本によると、悩みの99%は人間関係が原因らしい。
赤ん坊のころは、一人じゃ何も出来ないから、何もかも母親に世話して貰った。
しかし、時が経つにつれ、二足で歩けるようになり、言葉を覚え、自我が芽生え、そうして自立する。
自立。すなわち、自分で立つ事だ。だが、人として生きるには、人と関わっていく必要がある。"人間"というのは、文字通り、人と人の"間"が重要になる。遠過ぎても、近過ぎてもダメだ。ぼくは最近、この"間"に関してよく分からなくなっている。
当然だが、全く同じ見た目と中身を持つ人間なんてのは存在しない。人はみんな違う。当たり前だ。だから会話をしていても、意見が食い違ったり、分かり合えなかったりする時がある。
仲の良い友達とて、だ。自分を100%理解してくれる人なんて、まずいない。それぞれにそれぞれの人生がある。会話中にスマホを弄られた時。僕の期待していた反応をしてくれなかった時。「予定がある」と遊びを切り上げられた時。遊び終わった帰り道。僕は何故だか、すごく寂しいと感じる。一緒の空間にいるけど、まるで魂は全く別の場所にいるみたいだ。みんな、どこか遠い所に行ってしまうんじゃないか。僕はここにいるのに。一人じゃない時でも、一人でいる感覚。
賑やかな日常を過ごしているのにも関わらず、どこか孤独を感じてしまうのは、こうした理由がある。
何をこんなに難しく考えているんだろう。でも、海外で長い事生活をしている人は、一度や二度、人間関係について考えるはずだ。外国人として生きる以上、こうした気苦労は付き物なんだ。でも、今の僕の人間関係に対する考え方は、あまりにも極端だと最近気付いたから、改善しようと思っている。
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自分らしく生きていれば良いや
いろいろと書いたが、所詮は20代学生の戯言だ。生きる意味を完璧に見つられるほど神様は優しくない。
僕はこれからも模索し続けるが、今はとにかく、自分に正直に、やりたい事をやって、まっすぐに生きれば良いんじゃないかと思っている。
兎にも角にも、生きる意味を考えるという行為は、決して無駄なことではない。考え抜いた上で、自分は何のために生きたいと思えるのかが見えてくるからだ。
生きる意味が分からなくなったら、何をしている時に幸せや楽しさを感じるのか?正直に考えて欲しい。
親とか、友達とか、そういった外的要因は考えずに、本当の自分と向き合った上で、自分は何をしたいのかを考えることが重要だ。自分になろう。
くれぐれも、「生きる意味が分からない。じゃあ、死のう。」といった、短絡的な考え方はしてはいけない。死んだら意味ない。
いつか必ず、光さす時がやってくる。僕もあなたも、今は真っ暗闇の中だけど、それが一生続く訳じゃない。
報われない努力。救われない孤独。
それでも走ろう。いつかくるその時に静かに思いを馳せて。
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