人生逆転のマレーシア留学

何もなかった男が、人生逆転するまでの軌跡を綴ります。

海外留学生活は孤独・ホームシックとの戦い【マレーシア大学留学生の本音】

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どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

早いもので、もうすぐマレーシアに来てから1年が経とうとしています。

すっかり現地生活も板についてきました。家族みたいな友達だってできました。

 

しかし、外国人として生きるという事は、予想以上に孤独です。

大学の勉強も英語。買い物に行っても英語。友達と話すのだって英語。

それが嫌な訳じゃない。特に友達に関しては本当の親友だと思ってる。けど、たまに疲れてしまうのも本音です。

 

そんな毎日の最中。特に家にいる時なんかは、一人ですから、孤独を感じる訳です。

最近は、とてつもない孤独に襲われる日々。ホームシックってやつでしょうか。

 

今、マレーシア留学中の僕が孤独を感じる理由とは?

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なぜこんなに孤独を感じるのか。理由は二つあります。

 

コロナの影響で日本に帰れない

まず一つ目は、先週のマレーシア政府の発表。今年いっぱい、外国人はマレーシアへの入国を規制されました。

これはつまり、一度日本に帰ってしまったら、今年いっぱいはマレーシアに再入国できないということ。

 

いや、正確に言えば、日本からマレーシアに戻る際、二週間の隔離生活が余儀なくされる。寂れた病室の中で、上手くもない病院食を二週間食べ続けなければならない。その際の費用は100%自己負担。マレーシア政府によると、その額はなんと2600リンギット(約66,568円)だという。

 

ばか高い費用を払い、訳のわからない病院のベッドで2週間を過ごすなんて、マゾのする事だと思う。そこまでして日本に帰らなければならない理由もないから、今年いっぱいはマレーシアに居続けるという選択をせざるを得ない。

 

一年も日本にいる仲間に会えないのか。地元に関しては、2018年の正月に帰った以来だから、丸二年も地元にいる家族や仲間に会えないんだ。

 

寂しいなぁ。

 

心の支えだった人が…

それと、先日の記事でも書いた例の色恋沙汰の件。

日本にいた頃、僕には彼女がいた。お互い愛し合っていたのにも関わらず、留学の不安からか、渡航前に自分から振ってしまった。でもずっと引きずっていて、一年ぶりにその子のSNSを見たら、新しいボーイフレンドが出来ていて、とても後悔している。

 

という、なんとも女々しい記事を、恥ずかしげもなく書きました。

例の記事:留学する時に彼氏・彼女と別れるべきなのか?僕の実体験から考察してみた【遠距離恋愛】

 

しかし、僕はどうやら、それ以来ポッカリ心に穴が開いてしまったようです。

「あぁ、もうあの子は居ないんだ」、と。

僕の留学生活を応援してくれる家族や仲間がいます。いるんですが、なんというか、心の拠り所というか、心の支えがなくなった感覚。それも、とてつもなく大きな支えが、忽然と無くなった感覚。

 

日本に帰国するという楽しみ。心の支えだった例の女性。

僕はこの二つを、先週のうちに無くしてしまったのです。

 

孤独や寂しさから逃げてはいけない

僕はこれまでにも、何度か孤独や寂しさを味わってきました。

そんな時は決まって、孤独という辛さから逃げるための依存先を探していたような気がします。

非行に走ったり、夜遊びをしたり、酒やタバコに嗜んだり、女性を求めたり。若かりし頃の僕は、寂しさを感じるたびに、こうして誤魔化してきました。

 

けど、誤魔化したところで、問題の抜本的解決にはつながらない。こうして、いまだに孤独に打ち拉がれている弱い自分が、何よりの証拠じゃないか。

大人のふりをしても、自分はまだまだクソガキだった。強くなりたい。自立したい。僕は次第に、孤独とか、寂しさとか、そういう負の感情に対して、もう逃げねぇ。どっからでもかかって来いよコラ。こう奮い立たせて、今は毎日を生きています。

 

寂しさの中で寂しさが美しいと知る

思えば、マレーシアに来てからは、孤独と向き合ってばかりですが、その中で気付くこともあります。

 

好き勝手生きている自分を応援してくれる家族。

「いつでも帰ってこいよ」と心配してくれる先輩。

「いつ帰って来るんだ?早く遊ぶぞ」と口うるせぇ友達。

「ユウトさん居ないんで寂しいっす」と慕ってくれてる後輩。

マレーシアにだって、多くはないが親友がいる。良くしてくれる人たちもいる。 

 

なんだ。全然孤独じゃないぞ。いや、孤独っちゃ孤独だ。けど、孤立している訳ではない。

 

 

寂しさと向き合い、はじめて寂しさは美しいと知る。弱い自分を知れる。自分に素直になれる。大切な人たちのありがたみが分かる。

 

"大切なモノは失って初めて気づく"とはよく言いますが、今まで孤独から逃げてきた自分は、こんな当たり前な事にも気づけていなかったのです。

 

この経験から、"孤独を感じる時、それは成長期間である"と思っています。

そんな願ったり叶ったりな成長期間から逃げてしまうのは、ちょっと勿体ない。

 

もう少し孤独と戦ってみようかな、と思います。

 

孤独を埋める為の依存先を考えよう

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上記ツイートの通り。

人は、何かに依存して生きる動物です。特に、孤独を感じたり、愛情が不足していると感じる時ほど、執拗に依存先を探す傾向があります。

 

ドラッグや酒といった物質的な依存。SNSや買い物、ギャンブルといった行為や過程への依存。友人や恋人といった、人間関係への依存。

 

いろいろなタイプの依存先がある。僕だって何かに依存しないといけない。その中で忘れてはいけないのが、"依存先の質"を意識する事。

対象の物事に依存した結果、自己肯定感が高くなるか?僕はこう考えています。

 

例えば酒に依存したとして、たぶん、シラフの時は「俺何やってるんだろう…」って自己嫌悪に陥ります。だから、さらに酒を煽るハメになる。周りは鏡です。アル中に寄ってくるのは、同じくアル中でしょう。そんなスパイラルの中で、自己肯定感が高まるとは到底考えられません。

 

人肌恋しくて、インスタントに彼氏彼女を作ってみても、そこに愛なんてないから、一向に愛されている感覚が得られず、精神的孤独感を味わい続ける事になる。

 

いっときの感情で、依存先を決めても痛い目を見る。だから、依存先の質を考えるのです。孤独を感じる人というのは、自己肯定感が低い。物理的、もしくは精神的に、満たされている感覚がない。だからずーっと孤独を感じ続けるのです。

 

孤独と上手に向き合う為の趣味

孤独だなんだ言うわりに、僕は一人行動が好きなので、以下の事をしながら孤独と向き合っています。

 

  • 読書
  • 格闘技
  • カフェ巡り
  • ブログ執筆

  

 

特に、読書は最高におすすめです。

僕はよく、kindlemacbookを持ってカフェに行き、コーヒーを飲みながら好きな本を読んで、そこから得た知識をブログにまとめたりしています。

 

関連記事:【コスパ最強】読書がクセになる!電子書籍が読み放題のサービス「Kindle unlimited」【メリットだらけ】 

 

あとは、運動もいいですね。

僕は2週間前くらいから、マレーシアの格闘技ジムに通っています。

 

関連記事:格闘技経験なしの20代初心者が、マレーシアのジムでボクシングを習い始めてみた

 

格闘技は個人競技なので、自分自身が強くないとダメなんですよね。肉体だけではなく、精神まで強くないといけない。とどのつまり、倒すか倒されるかのスポーツなので、仲良しこよしではやってられません。

 

命をかけて斬り合いをしている武士が、「もう疲れた。誰か助けてくれ。」なんて弱音を吐こうものなら、命を奪われる訳ですよ。

 

僕は格闘技を通して、オスとして、人として、そして生物として強くなろう、と思うようになりました。孤独を味わうというのは、人として強くなる為には避けては通れない道なのです。

 

少し格闘技について語りすぎました。いずれにせよ、僕の依存先、すなわち趣味は、なかなかに自己肯定感を高めてくれます。

 

孤独って、そんなに悪いもんじゃない

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「孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。いずれにせよ、人格が磨かれる。」 by ニーチェ 

 

「成功したいならロンリーじゃなきゃ駄目だよ。めちゃくちゃ人脈があって成功してる奴を、俺は見たことがない。最終的に成功してる人は、一匹狼だし孤独に強いよ。」 by 与沢翼

 

上記はいずれも、過去記事からの引用です。

過去記事:【成功者に学ぶ】孤独に慣れて、自己成長に繋げる方法【孤独を愛せ】

 

自立するという事は、そう簡単なことじゃない。難しい。一人の人として強く生きるには、孤独とも向き合わなければいけない。割としんどいですが、乗り越えなければいけない壁だと思うんです。

 

そうしないと、一人じゃ何もできない奴になってしまう。

 

生まれ育った故郷や住み慣れた街、心地いい環境にいい人間関係。全てを置いてマレーシアに来て、はじめてこんなに真剣に孤独と向き合えています。

日本じゃおそらく体験できなかったでしょう。山あり谷ありの人生。紆余曲折があって、それが人としての肥やしになる。若いうちの苦労は買ってでもせよ、っていう言葉があるくらいです。

 

まだまだ道半ばの半人前ですが、これからも自分の足で、悩んだり喜んだりしながら、人生という道を切り拓こう。そう思っています。

日本の子供は、7人に1人が貧困状態。「相対的貧困」の定義と、解決策を考えよう

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どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

今日は、日本の子供たちの貧困について書きました。

 

 

裕福な国、日本にも貧困は存在する

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間違いなく、日本は裕福な国です。

マレーシアに住んでから、より気づかされました。

路上に座り込んでモノを売っている親子。物乞いをする手(もしくは足)のない人。

 

社会的弱者に対する支援が充実している日本では、絶対にありえない光景。僕たちは、日本人として生まれただけでも恵まれており、そして裕福なのです。

 

俯瞰して見ると、

 

「アフリカの子供たちを見なさい。日本の貧困層なんて甘えなんだよ。」

 

なんていう意見が出るのも、分からなくもない。

 

しかし、悲しいかな、世界中のどこを探しても、まったく平等な国なんて存在しません。

裕福だなんだ言われる日本にも、日本なりの貧困がある。

 

  • 絶対的貧困:人間として最低限の生活が維持できない状態
  • 相対的貧困:その国の生活水準と比較して困窮している状態

 

その辺にストリートチルドレンや物乞いがいるような途上国は、絶対的貧困が多い。

一方、日本に蔓延る貧困のタイプは、後者の相対的貧困です。 

 

日本に蔓延る、相対的貧困のリアル 

相対的貧困とは: 子どもの貧困率のことであり、経済協力開発機構OECD)が定めています。 全国民の手取り年収を少ない方から並べると 2012 年は 244 万 円が真ん中となり、この半分の 122 万円に届かない人の割合が相対的貧困率となります。

引用:経済協力開発機構(OECD)

 

年収122万円、月収でいえば14万円以下の家庭が、この相対的貧困に該当します。

厚生労働省の「国民生活基礎調査」(2012 年)によれば、日本全体のうち16.1%が相対的貧困状態であると言われています。

 

つまり、日本の子供の約7人に1人が「貧困状態」なのです。

 

"7人に1人が貧困"。これは世界的に見ても明らかに多く、G7入りしている先進国の中ではアメリカについで二番目に高い数字になります。

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出典:OECD 経済審査報告書

 

日本の貧困は見えにくい

 

日本には、"ご飯もろくに食べられない。着る服もない。学校にすら通えない。"といった、ストリートチルドレン的な子供たちは極めて少ないです。

 

日本の貧困家庭の子供たちは、最低限必要なものは持っているし、ゲームやスマホを持っている子供すらいる。しかし、家庭の経済事情を気にして、課外活動のクラブや塾には参加しなかったり、大学進学を断念したりする。

 

相対的貧困とは、なかなかに可視化し辛いのです。

中流以上の家庭で育った人では見えにくい。実際に貧困家庭で育った子供たちじゃないと分からない気苦労がある。それゆえに、子供たちの貧困をなくそう活動する人々の多くは、同じく貧困家庭出身者が非常に多いように思います。

 

たとえば、文部科学省の下村大臣は、幼い頃に父親を亡くし、貧しい生活を過ごします。その後、あしなが育英会による奨学金で進学。「家庭の経済格差が教育格差につながるような状況や貧困の連鎖をなくしたい」という思いのもと、2019年、子供の貧困対策法を成立させました。

 

このように、日本の貧困問題をなくそうと取り組む人の多くは、相対的貧困の苦しさを知っている人が多く、逆を言えば、中流以上の家庭で育った人には、いまいち「貧困のしんどさ」が認知されていなのです。

 

貧困が生む、子供の教育格差

収入の低い家庭に生まれた子供は、経済的な理由で、塾や習いごとのような教育機会を失い、学力が低下し、低学歴化します。その結果、じゅうぶんな仕事に就けず、貧困から抜け出せない。

 

このようにして、貧困とは親から子へ、そして子からそのまた子へと、世代を超えて連鎖する可能性が非常に高いのです。

 

何も知らず、無鉄砲に「アフリカに比べれば、日本の子供たちは恵まれてる!」だの「戦時中に比べれば、お前らの世代は裕福だ!」だの言っても、相対的貧困は減りません。

 

苦労人のサクセスストーリーなんかがもてはやされる世の中ですが、貧困状態の子供たち全員が努力さえすれば成功するのか?と言えば、答えはNOです。

 

実はぼくも、貧困家庭出身

かくいう僕も、7歳の頃から母子家庭の団地育ちです。相対的貧困の中で育ちました。

高校卒業後、工場で働いて、お金を貯めて、英語を勉強して…並々ならぬ時間と労力をかけ、今はマレーシアの大学で留学をしています。

 

関連記事:落ちこぼれの元ヤンが、#10年間を振り返る【人生逆転】

関連記事:【挑戦】偏差値30台で不良少年だった僕が、大学留学をしてみた【マレーシア留学】

 

ちょっと自慢みたいになってしまいしたが、ここで僕が伝えたいのは、自分も当事者として、相対的貧困のリアルや、子供たちのしんどさを知っているという事です。

中には、僕みたいに逆境をバネに出来る人もいます。けど、全員がこんなに行動できる訳ではない事も重々承知です。

 

そもそも、貧困家庭の中で育った多くの子供たちは、周りより貧しく、十分な体験もさせてもらえなかった為、「自分は人より劣ってるから、何をやったって無理だ」みたいな思考に陥る人がとても多いです。だから、自分に自信が持てず、思い切った行動も出来ない。貧困から抜け出せないのです。

 

では次に、子供たちを貧困から救い出すためには、何をしてあげるべきなのかを考えてみましょう。

 

日本の貧困を減らす為にするべき事

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十分な教育を受ける機会があれば、優秀な人材になるであろう子供たちが、「貧困」という理由だけでその可能性が失われるのは、あまりにも理不尽な話です。

 

かといって、貧困家庭の親を責め立てたって、なんの解決にもつながらない。

僕が思う日本の貧困を減らすための最も有効な手立ては、じゅうぶんな教育機会を与える事だと思います。

 

繰り返しになりますが、学校外で満足な教育体験を受けていない子供たちは、学力が低下します。また、経済的な理由で高校や大学進学を断念せざるを得ない為、いい職に就けずに、貧困が連鎖します。

 

そこで、たとえば教育機関の無償化や、より充実した教育支援を設ける必要があるのではないでしょうか。デンマークスウェーデンといった北欧諸国は、待機児童も少なく、学費や医療費も無料ですから、相対的貧困率が低いです。

 

また、政府だけでなく、僕たち個人も、もっと日本の貧困について向き合わなければならないのではないかと思います。

ボランティアに参加せずとも、「日本には日本の貧困がある」という事実を理解するだけでもいいですし、レジ横にある募金箱に1円を入れるだけでもいいんです。とにかく、この現状に対して無知のままで居続けるのは危険だという事。

 

なぜなら、少子高齢化が加速する今、日本の明日を担うのは子供たちです。"7人に1人の子供が貧困状態"。この数字を減らせるかどうかで、日本の未来も左右されるのではないかと僕は考えています。

 

貧困を減らす為に、勉強中です

 

私事ではありますが、貧困状態の子どもや10代の若者に対して、僕にできる事はないか?恵まれない子供たちに対して、何かいいプロジェクトを立ち上げられないか?などと考えています。

 

僕とてまだ20代前半のしがない大学生ですから、じゅうぶんな知識も経験も持ち合わせていません。ただ、恵まれない子供たちに教育の機会を与えたい、というぼんやりとした目的と、情熱だけはあります。それは同じく恵まれない子供だった自分にとっての使命だと思うのです。

 

今はまだ勉強中の身ですが、こうしてる間にも七人に一人の子供たちが貧困の中でしんどい思いをしていると考えると、胸が痛くてたまりません。

 

ですから、もし些細な提案やアイディア、何かしらのヒントがありましたら、ぜひ僕のTwitter@Just_Yutoにて教えていただきたいです。

 

未来を担う子供たちのためにも、よろしくお願い致します。

留学する時に彼氏・彼女と別れるべきなのか?僕の実体験から考察してみた【遠距離恋愛】

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どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

日本に彼氏や彼女がいるのにも関わらず、留学や海外就職をするとして、あなたならどうしますか?別れを切り出すのか。はたまた別れずに、遠距離恋愛を続けるのか。

 

この二択で迷っている人はめちゃくちゃ多いはずです。

かくいう僕も、留学前、当時付き合っていた彼女と今後どうするのか、悩みに悩みました。

 

そこで今回は、現在マレーシア留学中の僕による実体験を書きました。

また後半の方では、この経験を踏まえた上で、留学事にパートナーと別れるべきなのかを考察しております。

 

赤裸々に書いたので、割と恥ずかしいのが本音ですが。。

ぜひお役立てください。

 

 

 

一年後にマレーシア留学を控えた上で、交際スタート

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当時の僕は21歳。彼女はひとつ上の22歳。僕が昔住んでいた横浜の街の子で、二人とも社会人。ただ、僕は1年後、マレーシアで4年間の大学留学をすると決めていた。

 

それを踏まえた上で、僕たちは交際した。

心から愛し合っていたと思う。お互い社会人だから、学生のように頻繁には会えないものの、週末はずっと一緒にいた。

 

普段、人に弱い姿を見せない僕だが、彼女の前では素直になれた。彼女もそれを受け止めてくれて、同じように素直でいてくれた。だからこそ、二人の間には深い愛と、強い信頼がありました。

 

マレーシア行きの日が近づいても、

 

「半年に一回は日本に帰るようにするよ」

「私も、貯金してマレーシアに遊びに行く」

 

みたいなポジティブな会話ばかりで、お互いに悲しむ様子はなかった。けど、実を言うと、僕はただ強がっていただけで、内心はマレーシア留学やこの恋愛のこれからに対する不安でいっぱいだったのが本音です。

 

留学前の不安から、すれ違う二人

働きながら英語を勉強していた僕は、留学に向けてさらに勉強時間を増やしたかった。

 

そして、この子がいない海外生活を想像しては、寂しくて寂しくて、けど留学をする以上、一人で強く生きねばならない。この子なしで生きていけるように。こうなるともう、いっそ留学前から一人になった方がラクだ、という気持ちが強くなります。

 

彼女はいつもみたいに会いたがるけど、僕は一人になりたい。次第にすれ違いが生まれました。というか、僕が勝手に、そして一方的に距離をとりはじめたのです。

 

別れを告げる

あれは僕の誕生日が近づき始めた春頃。依然として優しい彼女は僕に、

「誕生日、楽しみにしててね」

と告げます。

 

でも、その頃の僕の心境はというと、半年後にマレーシア留学が決まっており、かつ一人になりたいという思いでいっぱい。きっと彼女はどこかレストランを予約して、誕生日プレゼントのひとつでもくれるのだろう。でもこの心境で誕生日を祝われても、多分心から喜べないし、何より彼女に申し訳ない。

 

このままズルズルと中途半端な気持ちを引きずるなら、もういっそ別れてしまった方がいいんじゃないか?

 

男として、白黒はっきりさせよう。そう決め、

 

「ごめん。留学にむけて集中したいから、別れよう。」

 

誕生日を控えた僕は、こう別れを告げました。

 

別に嫌いになったわけじゃない。むしろ好きだった。

けど、遠距離恋愛が難しい事はよく知っている。ましてや海外留学となると、どれだけハイペースに会えたとしても半年に一回。いやしかし、スカイプやLINEでビデオ通話をし、お互いの寂しさを埋められるかもしれない。けどそれじゃあ、なんだか縛られているみたいで不自由だし、何より留学生活を謳歌できない。

 

苦渋の決断。でも仕方ない。これがお互いにとっての最適解なはず。

こうして、1年足らずの交際は終了しました。

 

別れた後も、彼女からたびたび連絡がありました。

「マレーシアに行く前に会いたいです」と。

ぶっちゃけ僕だって会いたい。前みたいに遊びたい。けど会ったら、その後が辛くなってしまう事も分かってる。だから僕は、その都度断りました。

 

時間と共にきっと忘れる。マレーシアに行ったらもっとだ。そう信じて。

 

留学生活、寂しさの中でする後悔

マレーシア生活が始まる。何もかもが新鮮で、現地の親友だって出来た。

けど、外国人として生活する以上、必ず孤独がつきまとう。

 

友達と遊び終わった帰り道。勉強に疲れた時。就寝前のふとした時。

「あぁ、孤独だなぁ」

 と、寂しさがこみ上げる。そんなとき僕は、日本の事を思い出すのですが、留学前に最も長い時間を費やしていた相手は、何を隠そう"元"彼女。日本の思い出の中には、いつもその子が居ました。

 

ただ寂しいだけで、心の拠り所が欲しいだけなのか。はたまた僕はまだ…。

 

そしてつい先日、僕は友達と酒を酌み交わし、酔った勢いで恋愛の話になり、友達が「お前の元カノ、見せてよ」なんて言い出すもんですから、久しぶりにその子のLINEを見たのですが、何やら見知らぬ男性とのツーショットがプロフィール画像になっていたのです。

 

「あぁ。そっか。もう別れて一年以上経つし、新しい彼氏が出来たんだ。」 

 

もう別れたんだし、今後その子と会うことはないのだろう。けど、何故だか、いまだにその子の事を思い出す自分がいる。だからプロフィール画像を見たとき、どこか切ない気持ちに襲われました。

 

僕の記憶の中のあの子は、いまだにあの子のままだった。けど見知らぬ男性の隣で楽しそうに写っているあの子は、もうあの頃のあの子じゃないように見えた。とっくに終わった恋愛なのに、なぜこんな感情になるのか。不思議ですね。

 

これは後悔なのでしょうか。僕にも分かりません。

 

留学前にパートナーと別れるか迷ったら、考えたい事

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もしこの記事を読んでいるあなたが今、僕と同じような状況で、留学前に恋人と別れるかどうかについて迷っているのであれば、その人が居なくなった先の未来を想像してみるといいです。

 

寂しいですか?後悔しますか?それともラクになりますか?

 

恋愛事情はそれぞれ違います。ママゴトみたいな恋愛から、それはもう、深い深い恋愛まで、色んな愛の形がありますから、一概にこうしろとは言えません。

 

ただ僕は常々、"やらない後悔"より"やる後悔"をした方がいいと考えています。恋愛も同じくです。

 

臆病だった僕は、はじめから遠距離恋愛は続かないと諦め、そして今、おそらく後悔しています。どうせなら、遠距離恋愛の末に別れた方が、まだ清々しかったと思います。

 

はじめから「遠距離なんて無理」と諦めるのではなく、まずは遠距離でも恋愛を続けてみる。それで気持ちが離れたら、それまでです。

 

あとがき

今回の記事はかなりパーソナルな内容になりました。改めて見返すと、かなり女々しい事を書いてますね(笑)

 

しかし、こうして瞬間瞬間の感情や思考を言葉にするのもそう悪くありません。

 

たぶん数ヶ月後には、「うわッ!俺こんな記事書いてたのかよ。超恥ずかしい」ってなるでしょうし、今後、彼女なんて出来た日にゃ、「こんな記事見せられっかよ!非公開非公開!」ってなるでしょう。

 

恥ずかしいっちゃ恥ずかしいです。けど、留学前の恋愛事情について相談できる人なんて滅多にいないでしょう。これが誰かの為になるならと信じて、僕は恥を捨て、この記事を書きました。

 

やらない後悔より、やる後悔ですからね。

「僕たちは殺し合いをしていたかも」日本軍によるマレー半島の侵略をマレーシア人と考える

どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

先日、中華系マレーシア人の友達と二人で、Muzium Negaraという、マレーシアにある博物館で歴史を学んできました。

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上記ツイートの通りです。色々とマレーシアの歴史を知れたのですが、特に印象深かったのは、日本軍によるマレー半島の侵略。

 

侵略する側だった日本人の僕と、侵略された側だったマレーシア人の友達。

 

この二人が一緒になってこの歴史を学ぶのですから、当然、色々な事を考えさせられました。 

 

日本軍がマレー半島を侵略

アジア太平洋戦争(1941~1945)にて、日本軍はマレー半島全土を占領します。

占領中、日本はマレーシア人を民族ごとに分割して統治を行いました。というのも、マレーシアは多民族国家であり、ひとえに"マレーシア人"と言っても、マレー人、中国人(以下、華僑)、インド人が混在します。

そこで日本軍は、マレー系の人々を官僚や警察官として使い、マレー人協力の元、華僑を粛清しました。というのも、日本軍にとって、中国人、欧米人、欧州人は敵国人であり、実際に当時の華僑の多くも、日本への反感が強かったそうです。

 

日本軍による中華系マレーシア人の大虐殺

林 博史氏の東南アジアで日本は何をしたのかによると、一八歳から五〇歳までの華僑の男子が集められ、憲兵による検問がおこなわれ、かんたんな質問や人相だけで「反日」的かどうかを判断しました。財産のある者や教師など学歴のある者はそれだけで「反日」的と見なされます。「反日」と見なされた者はトラックに載せられ、海岸や沼地に連れていかれて機関銃で射殺されたと言います。

また、山奥に暮らす村人は、反日感情がより強いと見なされ、女性や子供までもが虐殺されました。

 

マレー半島の至る所でこうした粛清、すなわち虐殺が行われ、犠牲者数は数万から十万人以上になると言われています。

 

華僑を虐殺する際、日本軍はマレー人を警察官や案内人として起用し、華僑を処刑場まで道案内させたり、なんと、実際に処刑までさせたのです。

 

今でも残る、マレー人と華僑の遺恨 

この事がきっかけで、華僑は日本軍と協力したマレー人に腹を立て、血で血を洗う対立が始まります。この民族間の対立は、今日でも尾を引いており、マレーシア国内では大きな問題として色濃く残っています。

 

マレーシアの歴史を紐解く上で、日本軍によるマレー半島の侵略は外せない出来事なのです。

 

日本軍のマレー半島侵略について、華僑の友人と学ぶ意味

今回訪れたマレーシアの博物館では、実際に当時の日本軍が来ていた軍服や武器が展示されており、僕は中華系マレーシア人の友達と二人でそれらを眺めていました。

 

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そうして、日本がマレーシアにした事を深く学ぶうちに、僕はなんだかとてつもなく申し訳ない気持ちになり、友達に

「日本人として、すごく申し訳ない気持ちになったよ。なんかごめんな」 

と、なぜか謝ってしまいました。

 

すると彼、「おいおい、謝る事ないだろう。何もユウトの責任じゃない。過去は過去だ。俺ら世代は、戦争がいかに愚かな事なのかを知り、もうこんな馬鹿げた事を繰り返さないように尽力しようぜ」と、なんともナイスガイなコメントを頂きました。

 

もし、生まれる時代が違っていたら…?僕らが太平洋戦争中に出会っていたら…?僕は日本軍として、マレー半島に攻め込み、唯一無二の友人である華僑の彼を虐殺していたのかもしれない。

 

そう考えると、すごくゾッとするのと同時に、今この時代にこうして彼と出会えて、唯一無二の友人になれた事が嬉しくて堪らなくなりました。

 

「日本は危険な国だ」という友人の祖父

今回同行した中華系マレーシア人の友達には、現在78歳の祖父がいて、彼の祖父はいまだに日本に対してネガティブな印象を抱いていると言います。

 

その友達はたびたび、日本へ旅行に行きたい旨を祖父に話すのですが、その度に

「日本は危険な国だ」

と反対されるのだそうです。

 

確かに、78年前だと丁度日本軍が侵略した頃ですから、彼の親御さんなんかはかなり苦しい思いをさせられたはずです。そう思うのもいた仕方ないですよね。

 

この話を聞いたのをきっかけに、僕は、ぜひ華僑である友人と、マレーシアの歴史を学びに博物館へ行きたいと思ったのです。一人で博物館に行くより、そういったバックボーンのある彼と共に博物館に行くことに意味がある。僕はそう思いましたし、それが正解でした。

 

史実は、人によって受け取り方が違います。人種や国籍が違えば、その差はより大きくなるでしょう。凄惨な歴史は目を瞑りたくなるものですが、しかしそれは揺るぎない事実でもあります。国籍がそれぞれ違う僕と友人が、それらをしかと受け止めた上ではじめて、日本人として、アジア人として、そして地球人として、善悪を知り、今後は何をするべきなのかが見えてくるのではないでしょうか。

 

僕はこの学びを通して、こういった歴史があるのにも関わらず、マレーシアの大学で留学をさせてくれるマレーシア政府や、家族のように僕を迎え入れてくれたマレーシアの親友たち。全ての人々に対し、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

以前、僕は中華系の友人に誘われ、中国の旧正月を祝ったのですが、その際、中華系ファミリーの皆さんが、日本人である僕を暖かくもてなしてくれました。

 

関連記事:日本人が、マレーシアのチャイニーズニューイヤーに招待された話【旧正月】 

 

縁とは美しい。人の暖かさはどこの国であろうとも暖かい。そうしみじみ思います。

 

人々が傷つけあってはいけないし、殺し合いなんて絶対ダメ。世界中のみんながこの当たり前に気づくには、歴史をもっと知る必要があります。これを機会に、より深く学ぼうと、僕は思いました。

 

 平和な世界が訪れますように。

それでは。

 

 

ボクシング歴4日の初心者が、女子(経験者)と人生初のスパーリングをしてみた結果【男vs女】

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あらすじ 
格闘技歴ゼロの初心者である僕は、つい4日前から、総合格闘技のジムに入会し、日々ボクシングのトレーニングに励む。そんな中、スパーリングに人生初挑戦。スパー相手はなんと、ボクシング歴5ヶ月の女性。男と女の殴り合い。果たして結果は…?

 

どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

前回の記事で書いた通り、僕は4日前からマレーシアにある総合格闘ジムで、ボクシングをはじめました。

 

関連記事:格闘技経験なしの20代初心者が、マレーシアのジムでボクシングを習い始めてみた 

www.yuto-malaysia.com

 

そしてつい昨日、トレーニング後にコーチから

「ユウト!明日から本格的な練習が始まるから、グローブを買っておけよ!」

 

と言われ、練習後、その足でEverlastというブランドのボクシンググローブを購入。

 

 「よっしゃ〜!ついにマイグローブを買ったぞ!」と浮かれていました。

翌日(というか、この記事を書いている今日)、でたらめに大きいボクシンググローブを抱え、ジムに向かい練習は開始。

 

この日の練習生は、僕を含め10人ほど。女性も一人いました。平日の昼間から練習に来ているわけですから、結構ガチで格闘技をしている人がとにかく多い。一方で、たまたま大学の夏休みでこの時間から練習に参加している、ど素人の日本人。場違い感が半端ないのですが、みんな優しく迎え入れてくれます。

 

 

ボクシング歴四日目にして、まさかのスパーリング

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いつものように、準備体操、縄跳び、シャドーボクシングをこなします。

いくら初心者とはいえ、もうジムに入会して4日が経ちますから、ゼェゼェいいながらもこれらの基本練習を淡々とこなします。

 

基本練習が終わり、

「よし!これからグローブを使った練習をはじめるぞ!みんな、グローブ用意して!」

 とコーチからの指示が。

 

いよいよマイグローブを使う時がやってきました。

昨日まではシャドーばかりでしたが、ついにこのグローブでサンドバッグやらミットやらをぶん殴れるんだろうなぁ。ワクワクしながら、グローブをつけます。

 

しかしこの後、コーチから意外な指示が!

「じゃあ、これまでに習った技を自由に使っていいから、スパーリングしよっか!ほらみんな、コンビ組んで!」

他の練習生は、朝飯前と言わんばかりに「オッケー」などと返事をしながら、スパー相手を見つけます。

 

しかし、昨日グローブを買ったばかりの僕は、スパーどころか、パンチの打ち方くらいしかまともに教わっていない。

 

(えっ、いきなりスパー?ディフェンスの方法も、ステップもあんま知らないぞ…?)

と戸惑ってている僕に、コーチは

 

「ユウト!お前のスパー相手はこの子だ!」

 

と、インド系マレーシア人の女性を僕のスパー相手として選びます。

多分OLかな?「よろしくね」とはにかむ彼女の体格は、ごくごく普通の女性。

僕に比べると、ひと回り以上ガタイが小さい。

 

挨拶がてら格闘技歴を尋ねると、このジムに通い始め、4~5ヶ月ほどボクシングを習っているという。

ボクシング歴4日目の僕から見れば大先輩。しかし、ボクシング以前に、僕らは男女であり、力や体格がまるっきり違う。

 

男として手加減すればいいのか、それとも、ボクシング初心者として、胸を借りるつもりで果敢に攻撃していいのか…てかそもそも、ボクシングってどうやるんだ…

 

などと迷っているうちに、無慈悲にもスパーリングは開始。

 

初スパーリングの相手は女性。まさかのボコられかける…?

「さすがに、女性相手に本気では殴れない。まずはディフェンスに徹して相手の様子を伺おう。」そう決めた僕の顔に、彼女の素早いパンチが飛んでくる。

 

パンッ!パンッ!

 

左ジャブと右ストレート。ディフェンスを習っていない僕は、どうにかグローブでこの攻撃を防ぐ。ガード越しに、彼女が割と本気であることが分かります。

 

「おいおい…結構ガチじゃん…」などと思っているうちにも、彼女のラッシュは続く。日々のトレーニングで体得したのであろう、コンビネーションが次々と飛んできます。

 

ガードなんか知らない僕はもう、野性の勘と反射神経に任せて、攻撃を交わし、払い退け、そうしてどうにか距離をとります。

素人にしては意外と動けている自分に少し自信がついたのと同時に、ここで初めてスパーの雰囲気や、力加減をなんとなく理解しました。

 

「この人ボクシング上手いな。しかも割と本気だ。よし、殴ろう。女がどうとか、男がどうとかは考えなくて良いっぽいな」と、覚悟を決め、守りの姿勢から、攻めの姿勢へと切り替えます。

 

とはいえ、スパーリングなので本気では殴りません。せいぜい5割くらいの力で、パンチはほぼ寸止め。

 

攻めの姿勢に入った僕は、まず、練習で習ったワンツーパンチを繰り出す。しかし当然、彼女はワンツーに対するディフェンスを知っているようで、ひらりと避けられる。

 

その後も、教わったコンビネーションなんかを試しに打ってみても、彼女にかわされ、同時にカウンターパンチをもらいそうになり、それをなんとか防ぐ、といった攻防が続き、スパー終了のタイマーが鳴る。

 

どうやら、ボクシングの試合同様、一ラウンド3分でこのスパーは行われているようだ。サクッと水分補給をし、立て続けに2ラウンドが開始。

 

スパー2R目:女子のボディにカウンターを食らわせる

なんとなくスパーの雰囲気が分かってきた僕は、ほどほどの力加減で彼女にパンチを打つ。しかし彼女は上手く避け、今度は僕にパンチを打つ。僕もなんとか避ける。そんな攻防が、1ラウンド目のように続くが、技術量や練習量は彼女の方が上回っているため、彼女には手数で負けてしまい、いまいち攻撃に徹することができない。

 

そこで僕はようやく、「リーチ」という概念を思い出した。

格闘技においては、リーチのある選手の方がより広範囲まで攻撃が届くので有利です。

相手は僕よりひと回り以上小柄な女性。僕の方が、明らかにリーチだって長い。ということで、間合いを取るように意識し始める。

 

彼女がパンチを打つ為に踏み込んできたので、すかさずバックステップで後ろに下がってみる。すると、面白いくらい攻撃をかわせるようになった。手や腕を使ってガードをするわけでもないので、カウンターだって狙える。

 

「そうか!こうやってカウンターを狙うのか!」

 

と、理解し始めた僕は、パンチに合わせてボディーブローを軽く打ってみたら、見事に相手のボディにヒットした。

 

「ウッ…!」

 

と顔を歪ませる彼女。少し強いパンチが当たってしまったのかも。

「あっ、ごめんね…」と僕が声をかけるや否や、「うん、大丈夫!急にあなたの動きが変わったから、びっくりしたわ」とはにかんでくれ、スパーは再回。さすが先輩。お強いです。

 

このボディで彼女にも熱が入ったようで、さらにスパーは白熱した。

ステップを使い体を動かす。相手の動きを読む。パンチを打つ。相手の攻撃をかわす。

一見、文字に起こすとシンプルですが、ボクシングは奥深いです。

 

スパーリングのコツを掴み、面白くなってきたところで2ラウンド目が終了。

「あざした!」とお互い笑顔で挨拶。

 

お決まりの水分補給をした後、3ラウンド目が開始。

 

3R目。女子ボクサーから顔面パンチをもらう

間合いをとり、カウンターまで決めてくる僕を初心者扱いしなくなったのか、彼女の勢いは更に増した。

彼女の手数が多くなる。僕も負けじと、フットワークで体を動かしたり、パンチを繰り出すものの、少しの隙を突かれ、僕ははじめて顔面に軽くパンチをもらってしまう。

 

「あっ、ごめんね」と言う彼女だが、戦いが楽しくて仕方なく、アドレナリンがドバドバ状態な僕は、「うお!パンチ貰っちゃった!めっちゃ強いっすね!」と笑いながら、大丈夫なことを伝え、スパーを続ける。

 

僕が昨日今日で習った基本的なコンビネーションなんて、おそらく通用しない。多分、彼女はすでにディフェンスの練習をしているはずだから。

 

そう思った僕は、変則的な攻撃をするように切り替えた。

 

というのも、格闘技経験こそない僕だが、格闘技自体はよく見ている。あの選手はこんなパンチを打つとか、こんなカウンターを決めるとか、格闘技の知識はある。

それに、小学生の頃の兄弟喧嘩や、高校の授業で習った柔道を思い出し、相手と対面した時、どう戦っていたかを思い返す。その経験と知識を手探りに思い出しながら、スパーに落とし込んだ。

 

ここまでの僕は、やけにボクシングの型にとらわれていた。そりゃあ、僕より長いことボクシングをやっている人に、技術量で勝るはずがない。

 

それよりも、自分の経験や見てきた格闘家達のファイトスタイルを思い出して、そこにボクシングの基礎を落とし込むように工夫した。

 

例えば、左ジャブからパンチを繰り出すのではなく、いきなり右ストレートを打ってみたり、左ジャブと見せかけてボディーブローを打つフェイントを仕掛けてみたり。ストレートで顔ばかり狙うのではなく、フックやアッパーを駆使してみたり、ボディーを狙ってみたりする。要は、どうやって相手をぶっ倒すかを、冷静に考えました。

 

特に彼女の場合、顔をよくディフェンスする傾向があって、ボディがガラ空きな事が多い。だから、変則的なパンチを繰り出しつつ、ボディを狙う。するとガードが下がるので、顔の防御が甘くなり、色んな攻撃が入りやすくなる。

 

でも、攻撃ばかりに集中していると、防御が雑になってカウンターを食らうかもしれない。だから、ステップで相手を撹乱させたり、さっき覚えた間合いを取ったりしながら、腕を上げてガードを意識する。

 

実際に戦いながら相手を分析したり、ファイトスタイルを見直すことで、3ラウンド目にしてようやく、自分のボクシングスタイルを見つけたような気がしました。

 

こうして白熱したスパーは、3ラウンド、4ラウンドと続き、ようやく終了。

 

最後は、お互いに健闘を称え、笑顔でお礼を言い合いました。

 

結論:格闘技やってる女子は、めっちゃ強い

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3分1ラウンドのスパーリングを4回、初心者がやらされるなんてあまり聞いたことがありません。

 

マススパーで、かつ相手が女性でしたが、それでも結構キツかったです。

しかし、それ以上に戦う事に対して楽しさを覚える自分がいました。

 

「ふざけんなこのやろう!」と怒り狂い、力任せに大振りのパンチを打つだけなら、多分ボコボコにされていたでしょう。

僕の場合、序盤は分からずに戸惑っていたものの、戦いながら、この4日間で習ったボクシングの基礎を思い出しつつ、相手を冷静に分析して戦う事で、ようやく対等に打ち合えました。

 

今回、手合わせしてくれた女性はとてもボクシングが上手く、僕が初心者なので、ある程度は手加減してくれたと思います。格闘技未経験で運動もあまりしていない素人男性と本気でボクシングルールの試合をしたら、多分彼女が勝つんじゃないかな。

 

そのくらい、格闘技をやっている人とそうでない人とでは、例え男女であろうと、大きな差がある事を実感しました。

 

格闘技というと、どうしても男性が好んで習うイメージがありますが、いざ暴漢に襲われた時に身を守れた方がいいので、もっとたくさんの女性も習った方がいいのでは?と思いました。

"可愛い子には旅をさせよ"じゃないですけど、可愛い女の子には、格闘技を習わせた方がいいかもですね。

 

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格闘技経験なしの20代初心者が、マレーシアのジムでボクシングを習い始めてみた

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どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

つい3日前から、格闘技を習い始めました。

 

  

今年で23歳になった僕ですが、格闘技歴はほぼゼロ。

 

そもそも、運動という運動もあんまりしていなくて。中学2年でバスケ部を辞めてからというものの、スポーツから離れていたので、10年近く大した運動をしていないという状態。

ここ1年くらいは、家で自重トレーニングをしたり、たまに走ったりしている程度です。 

 

さて、そんな超ド級の初心者ですが、格闘技ジムでボクシングを習い初めました。今日はその感想を書きます。

 

 

総合格闘技ジムに入会。まずはボクシングの基礎から練習開始

Image マレーシアの首都クアラルンプールにある、MMA総合格闘技)のジムに入会しました。

会員は、以下のクラスを自由に受けることができます。

 

 

僕は打撃が好きなので、まずはボクシングから始めました。また、体力づくりにも精を出したいので、今週からは筋力トレーニンも並行して行います。

 

一日目の練習内容

 

なんと!僕にボクシングを教えてくれている先生は、かつて日本で亀田和毅選手を指導していたという、とんでもなく凄いコーチ。

 

そんな方の元で習うボクシングは、もうめちゃくちゃに面白いです。

練習内容は以下の通り。

 

  • ①:走り込み(10分)
  • ②:縄跳び(10分)
  • ③:筋トレ(5種目20秒ずつ×2セット)
  • ④:シャドーボクシング(重り有)
  • ⑤:シャドーボクシング(重り無)
  • ⑥:サンドバッグ打ち
  • ⑦:ミッド打ち
  • ⑧:筋トレ
  • ⑨:ストレッチ

 

こんな感じの練習を、一時間半ほどかけて行います。

これらを、他の会員さん(5〜10人)と一緒になって行うのですが、僕意外に日本人なんて一人もいません。

日によって異なりますが、マレーシア人だらけの日もあれば、アフリカ系や欧米系、スパニックにアジアン。様々な人種が入り混じる、ワールドワイドな日もあり、とにかくエキサイティングです。

 

知らない場所で、知らない外国人に囲まれ、やったことのない格闘技を練習する。こんなワクワクする挑戦は、久しぶりです。

 

基礎的な体力トレーニング:有酸素運動・筋トレ

まずは、有酸素運動や自重での筋トレなど、基礎的な体力トレーニングから練習開始。

特にキツイのが、意外にも10分間の縄跳びです。

 

縄跳びなんて小学生以来やっていなかったので、 前半は「縄跳び、懐かしいなァ」くらいの気持ちで飛ぶのですが、しかし、だんだんとふくらはぎに乳酸が溜まり、しんどくなってくるのです。

 

足がもつれ始め、徐々に飛ぶスピードが遅くなってくる。でも、縄の速度は一定なので、やがて足に縄が絡まってしまう。これを10分間続けるので、最後はもう汗だく。 縄跳びさん、舐めてかかってスミマセンでした。。

 

ボクシングの基礎:構え方・パンチの打ち方

体力トレーニングが終わる頃には、もう汗だく。 体が温まったところで、ようやくボクシングの基礎を練習します。

 

まずは基本姿勢から習い、パンチの打ち方を教わった後は、コンビネーションを習い、後はひたすらシャドーボクシングをして感覚を掴みます。鏡を見てフォームを確認したり、目の前に相手がいることを想定したり、創意工夫しながらパンチのイメージを掴むようにしました。

 

コーチから「ガードが下がってる」とか「もっとフォームを意識しろ」などと指導を受けながら、5分ほどシャドーをしては水分補給。また別のコンビネーションで5分シャドーをしては、水分補給。この繰り返しで、滝のような汗をかきます。

 

ボクシングの応用:サンドバッグ・ミッド打ち

シャドーがインプットなら、サンドバッグやミッド打ちはアウトプット(多分)。

実際にサンドバッグをぶん殴りながら、シャドーで練習したコンビネーションを応用します。

 

姿勢を意識しながら、習ったパンチをサンドバッグにぶつける。習ったコンビネーションを実践して覚えなければいけないので、頭を働かせながらパンチを打ち込む。

 

重いサンドバッグを殴るのですから、背中、肩、腕の筋肉を存分に使います。特に、ヒッティングマッスル(背筋)は日常生活であまり使わない部位なので、今、背中あたりがバキバキに筋肉痛です。

 

僕はまだ初心者で、基礎固めの段階です。しかし、同じ練習生の中にはボクシング歴の長い方もちらほらいて、僕がサンドバッグを打っている横で、バッチバチにスパーリングをしていました。「俺も早くスパーしたい!」とモチベが上がるので、ミッド打ちにも熱が入ります。

 

締めの筋トレは、腹筋をイジメ抜く

一通りパンチの練習が終わったところで、締めの筋トレです。

とにかく腹筋運動をするのですが、練習でだいぶヘトヘトな状態なので、結構キツイです。

練習生一人ずつ、順番に「ワン、ツー、スリー…」と声がけをしながらとにかく腹筋をイジメ抜きます。みんなの声から、しんどいのが伝わります。

 

どうにかやり切った後は、ストレッチをして練習は終了。挨拶をし、一人ずつ握手をして終わりです。

 

初心者がボクシングを初めてみて思ったこと

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マレーシアという異国の地にある、外国人だらけのジムで、一からボクシングを始める。

字面だけ見ると、無謀にも思える挑戦ですが、意外にも楽しく続けられそうです。

 

練習はラクじゃないし、次の日は全身筋肉痛。けど、毎日少しずつ強くなっているという感覚はあるし、何よりパンチを打つのが楽しくて仕方ありません。「毎日ジムで練習をしたい!」とさえ思っています。

 

「格闘技初めてみたいけど、初心者だし、もう大人だから…」

って悩んでる方は、無料体験とかから初めてみるのもアリかもです。

 

格闘技に限らずですが、経験はないけどやりたいと思っている物事は、どんどん挑戦した方がいいなとつくづく思います。未知の世界に飛び込む事で、思わぬ出会いがあったり、新しい価値観ができたりしますからね。快適な場所にいたって退屈です。

 

僕は先週から、ボクシングという未知の世界に一人で飛び込みましたが、練習が生きがいになりそうです。なのでその分、カラダにも気をつけなければなりません。

毎日、プロテインを飲むように心がけています。

 

 

あとは、食事ですね。消化の悪い食べ物とかは控えて、ヘルシーな鶏肉を食べるようにしています。

 

こんな感じで、食事にも気を遣ったりしながら、ボクシングの練習に励みます。ただ、せっかく他の格闘技も習えるので、ボクシングに留まらず、色んな練習もしてみるつもりです。

 

まだ挑戦は始まったばかり。心身ともに鍛え、昨日の自分より強くなれるよう、練習に励みたいと思います。

 

これからも、ツイッターや当ブログにて僕の挑戦を発信する予定ですので、暖かく見守ってく頂ければ幸いです。

それでは!

「ラクをするのは悪い事」という日本の風潮について。マレーシアから考察してみた

朝, 肯定的です, 空, 美しい, 青, オレンジ, ライフスタイル, モチベーション, 日, 生活, 幸せ どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

今日は、ラクするのは悪い事なのか」について考察します。

 

というのも先ほど、過去に僕が回答したpeing(匿名の質問サイト)をぼーっと眺めていたら、こんな投稿を見つけました。 

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日本の「楽するのはズルい」なかなか変わらないと思いますよ。なぜでしょうね?これは会社に30年勤めた感想です。

 

去年の12月にフォロワーさんから頂いた質問ですね。

この投稿に対する僕の回答は、以下の通り。

 

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「俺らが若い頃はもっと苦労したし、それが正義だ。お前ら部下も、ラクなんかせずに死ぬ気で働け!」みたいなスポ根系上司が多いからでしょうか…一種の宗教みたいで不気味です。

 

果たして、ラクするって悪い事なのでしょうか?

今日は、去年に回答した質問を半年ぶりに考え直してみました。

 

なぜ「ラクをするのは悪いことだ」という風潮が生まれるのか?

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そもそも、ラクをするのはズルイ」といった風潮があるのは、日本くらいだと思います。少なくとも、僕の住むマレーシアでは聞いたことがありません。

 

なぜこんな、日本独特の風潮があるのかというと、それは、みんな同じなのが当たり前だからではないでしょうか。

人種、言葉、受けてきた教育、見ていたテレビ番組。。ある程度違いがあるにせよ、日本生まれ日本育ちの我々は、こういった要素の中で、思考や価値観が統一化されます。

 

見た目だってそう。学校では同じ制服に規程内の髪型を指定されるので、大体みんな同じような見た目です。

日本が単一民族である事がより多様性の無さに拍車をかけていて、2020年現在、日本に住む外国人の割合はわずか2.25%だと言われています。外国人が多く集まる都心部や米軍基地周辺でもない限り、右を見ても左を見ても、似たような日本人ばかりなのが普通です。

 

そんな、周りと同じなのが当たり前な環境の中で、ラクをしたり、やりたい事をやったりする人が現れると、周囲の人々から「なんだアイツは。みんな頑張ってるのに。」と思われてしまうのも、当然のことなのかもしれません。

 

これが、僕の考える「ラクをするのはズルイ!悪だ!」という思考が生まれるまでのプロセスです。

この考察からわかることは、日本では、"ラクする事が悪いのではなく、人と違う事が悪いのである"という事です。

 

マレーシアには「楽することは悪」みたいな風潮が、多分存在しない

マレーシアの大学では、グループワーク(みんなで一つの課題をこなすやつ)が割と多いです。

 

当然僕も現地の大学生5〜6人と一緒にグループワークをするのですが、みんな一人で課題を全てこなそうとするんです。「オイオイ、俺なんにもすることないじゃん…」と途方に暮れかけた僕は、積極的に自分の課題を割り振ってもらいました。

 

また、マレーシアではコンビニの店員がスマホゲームをしながら接客したり、家電量販店で店員同士がウイイレに熱中していたりする事はしょっちゅうあります。

 

こういったマレーシア生活ならではの体験から分かることは、もちろん個人差はあるのでしょうが、「俺らが頑張ってるんだから、お前もラクしないで頑張れよ」みたいな考え方がマレーシア人にはほとんど無いのでは?という事。

人と違うのは当たり前だから、他人に干渉しすぎない。これは多分、多民族国家マレーシアならではの特徴。僕は大好きです。

 

ラクする事は悪なのか?

ここからは、この日本独特の風潮を忘れて、ラクをするという行為は悪いのかどうか」について考えてみましょう。

僕の持論は、以下のツイートの通りです。

 

 

実は、このツイートをした後に、フォロワーさんから冒頭で紹介したpeingでの質問が届いたという経緯があります。

これは確か、なんかの本で読んだ内容をまとめたツイートです。なんの本かは忘れました(無能)

 

でも、このツイート内容は本当に的を得ていますよね。

例えば、僕たちが普段使っているスマホやPC。これから来ると言われている5GやAIといった次世代テクノロジーは、僕たちの生活をよりラクに、そして豊かにするために開発されています。

 

こういったテクノロジーがあるお陰で、僕たちは、これまで10時間はかかる作業を1時間足らずでこなすことができます。

 

そう、今の僕たちが勉強しているITやプログラミングなんかは、将来の僕たちがもっと効率的に、そしてラクに生活をするための勉強なんですよね。

そんな現代において、本当に必要な思考法は、「ラクをするにはどうしたら良いか」といった思考法だと思うのです。

 

周りの目を気にせず、自分の人生を生きるコツ

"いかにラクするかを考える。こういった考えは、むしろこれからの時代にフィットしている。"そんな極論めいた考察もこの辺にしておきます。

 

しかし、今回で分かったことは、やはり、日本人は他人の目を気にしすぎであるという事です。

 

「みんな頑張ってるから、自分も頑張ろう。」

「僕たちは頑張ってるのに、あの人は楽をしている。ズルイ奴だ。」

 

こういった、他人の目や評価ばかりを気にする生き方、つかれませんか?

いえ、「この生き方が性に合ってるんだ!」という方にまで強要するつもりはありませんよ。

 

ですが、僕の経験則では他人の目を気にして生きて、そうして苦しんでいる人が本当に多いんです。

僕なんかはもう、生粋の天邪鬼ですから、「みんながやってる事はやりたくねぇ。自分のやりたいことをとことん追求するぜ」ってくらいで、もう完全に振り切ってます。

 

 

僕の生き方はちょっと度が過ぎているかもですが、自分らしく、気楽に生きると、すごい幸福度が上がりますよ。

もちろん、自分の人生を生きるのにもルールはあります。例えば僕は、

 

  • 自分の行動には、自分で責任を取る
  • 他人を傷つけない
  • 法律を守る

 

といった、至極当然なルールを守るよう心がけています。

これさえクリアすれば、あとはラクしようが、やりたい事をしようがOK。こんな感じで、シンプルに生きています。 

 

まとめ:ラクしても良いし、好きに生きよう

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めちゃくちゃ深く考察をしましたが、最後はペラいまとめで締めます(笑)

僕の答えは至ってシンプルで、「ラクしても良いから、好きに生きよう」です。

 

ただ、先ほど紹介した3つのルールをクリアしてからに限ります。

「何だか生きづらいなぁ…」と感じる方は、ぜひ参考にしてみてください。

それでは。