人生逆転のマレーシア留学

何もなかった男が、人生逆転するまでの軌跡を綴ります。

「僕たちは殺し合いをしていたかも」日本軍によるマレー半島の侵略をマレーシア人と考える

どうも、ユウト@Just_Yuto)です。

先日、中華系マレーシア人の友達と二人で、Muzium Negaraという、マレーシアにある博物館で歴史を学んできました。

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上記ツイートの通りです。色々とマレーシアの歴史を知れたのですが、特に印象深かったのは、日本軍によるマレー半島の侵略。

 

侵略する側だった日本人の僕と、侵略された側だったマレーシア人の友達。

 

この二人が一緒になってこの歴史を学ぶのですから、当然、色々な事を考えさせられました。 

 

日本軍がマレー半島を侵略

アジア太平洋戦争(1941~1945)にて、日本軍はマレー半島全土を占領します。

占領中、日本はマレーシア人を民族ごとに分割して統治を行いました。というのも、マレーシアは多民族国家であり、ひとえに"マレーシア人"と言っても、マレー人、中国人(以下、華僑)、インド人が混在します。

そこで日本軍は、マレー系の人々を官僚や警察官として使い、マレー人協力の元、華僑を粛清しました。というのも、日本軍にとって、中国人、欧米人、欧州人は敵国人であり、実際に当時の華僑の多くも、日本への反感が強かったそうです。

 

日本軍による中華系マレーシア人の大虐殺

林 博史氏の東南アジアで日本は何をしたのかによると、一八歳から五〇歳までの華僑の男子が集められ、憲兵による検問がおこなわれ、かんたんな質問や人相だけで「反日」的かどうかを判断しました。財産のある者や教師など学歴のある者はそれだけで「反日」的と見なされます。「反日」と見なされた者はトラックに載せられ、海岸や沼地に連れていかれて機関銃で射殺されたと言います。

また、山奥に暮らす村人は、反日感情がより強いと見なされ、女性や子供までもが虐殺されました。

 

マレー半島の至る所でこうした粛清、すなわち虐殺が行われ、犠牲者数は数万から十万人以上になると言われています。

 

華僑を虐殺する際、日本軍はマレー人を警察官や案内人として起用し、華僑を処刑場まで道案内させたり、なんと、実際に処刑までさせたのです。

 

今でも残る、マレー人と華僑の遺恨 

この事がきっかけで、華僑は日本軍と協力したマレー人に腹を立て、血で血を洗う対立が始まります。この民族間の対立は、今日でも尾を引いており、マレーシア国内では大きな問題として色濃く残っています。

 

マレーシアの歴史を紐解く上で、日本軍によるマレー半島の侵略は外せない出来事なのです。

 

日本軍のマレー半島侵略について、華僑の友人と学ぶ意味

今回訪れたマレーシアの博物館では、実際に当時の日本軍が来ていた軍服や武器が展示されており、僕は中華系マレーシア人の友達と二人でそれらを眺めていました。

 

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そうして、日本がマレーシアにした事を深く学ぶうちに、僕はなんだかとてつもなく申し訳ない気持ちになり、友達に

「日本人として、すごく申し訳ない気持ちになったよ。なんかごめんな」 

と、なぜか謝ってしまいました。

 

すると彼、「おいおい、謝る事ないだろう。何もユウトの責任じゃない。過去は過去だ。俺ら世代は、戦争がいかに愚かな事なのかを知り、もうこんな馬鹿げた事を繰り返さないように尽力しようぜ」と、なんともナイスガイなコメントを頂きました。

 

もし、生まれる時代が違っていたら…?僕らが太平洋戦争中に出会っていたら…?僕は日本軍として、マレー半島に攻め込み、唯一無二の友人である華僑の彼を虐殺していたのかもしれない。

 

そう考えると、すごくゾッとするのと同時に、今この時代にこうして彼と出会えて、唯一無二の友人になれた事が嬉しくて堪らなくなりました。

 

「日本は危険な国だ」という友人の祖父

今回同行した中華系マレーシア人の友達には、現在78歳の祖父がいて、彼の祖父はいまだに日本に対してネガティブな印象を抱いていると言います。

 

その友達はたびたび、日本へ旅行に行きたい旨を祖父に話すのですが、その度に

「日本は危険な国だ」

と反対されるのだそうです。

 

確かに、78年前だと丁度日本軍が侵略した頃ですから、彼の親御さんなんかはかなり苦しい思いをさせられたはずです。そう思うのもいた仕方ないですよね。

 

この話を聞いたのをきっかけに、僕は、ぜひ華僑である友人と、マレーシアの歴史を学びに博物館へ行きたいと思ったのです。一人で博物館に行くより、そういったバックボーンのある彼と共に博物館に行くことに意味がある。僕はそう思いましたし、それが正解でした。

 

史実は、人によって受け取り方が違います。人種や国籍が違えば、その差はより大きくなるでしょう。凄惨な歴史は目を瞑りたくなるものですが、しかしそれは揺るぎない事実でもあります。国籍がそれぞれ違う僕と友人が、それらをしかと受け止めた上ではじめて、日本人として、アジア人として、そして地球人として、善悪を知り、今後は何をするべきなのかが見えてくるのではないでしょうか。

 

僕はこの学びを通して、こういった歴史があるのにも関わらず、マレーシアの大学で留学をさせてくれるマレーシア政府や、家族のように僕を迎え入れてくれたマレーシアの親友たち。全ての人々に対し、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

以前、僕は中華系の友人に誘われ、中国の旧正月を祝ったのですが、その際、中華系ファミリーの皆さんが、日本人である僕を暖かくもてなしてくれました。

 

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縁とは美しい。人の暖かさはどこの国であろうとも暖かい。そうしみじみ思います。

 

人々が傷つけあってはいけないし、殺し合いなんて絶対ダメ。世界中のみんながこの当たり前に気づくには、歴史をもっと知る必要があります。これを機会に、より深く学ぼうと、僕は思いました。

 

 平和な世界が訪れますように。

それでは。